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高知地方裁判所 昭和44年(行ク)3号 決定

申請人 細川裕司

被申請人 高知県教育委員会

主文

本件申請を却下する。

申請費用は申請人の負担とする。

理由

一、本件転任処分執行停止決定申請の趣旨および理由は、別紙一の(一)ないし(四)記載のとおりであり、被申請人の意見は別紙二の(一)、(二)記載のとおりである。

二、疎明〈省略〉

三、当裁判所の判断

(一)  原本の存在ならびに成立に争いのない疎甲第一号証、申請人本人尋問の結果により真正に成立したと認める同第一三号証、および、申請人本人尋問の結果によれば、被申請人が申請人に対し、昭和四四年三月三一日付で高知県高知市公立学校教員を免じ、同年四月一日付で同県仁淀中学校組合公立学校教員に任命し、同組合立仁淀中学校教諭に補するとの転任処分をなしたことは明らかであり、また、同年四月二五日申請人から右転任処分の取消を求める本案訴訟が高知地方裁判所に提起されたことは当裁判所に顕著な事実である。

(二)  ところで、右本案訴訟は地方公務員法第五一条の二による高知県人事委員会の裁決を経ないで提起されているので、右訴提起の適否の問題があり、また、右本案の内容が理由がないとみえるときに該当するかどうかの問題もあるけれども、これ等に対する判断は暫くおき、以下にまず、本件転任処分により申請人につき回復の困難な損害を生じ、これを避けるため右処分の効力を停止すべき緊急の必要性があるかどうかの点について考察をする。

まず、行政事件訴訟法第二五条第二項にいう損害については、これを申請人の個人的損害に限ると解するとしても、これに関する損害の内容は、教育公務員についても認められる団結権保障の趣旨に照らし(地方公務員法第五二条、第五六条、なお、最高裁昭和四四年四月二日判決、刑集二三巻五号三〇五頁参照)教職員組合の役員が、組合活動の一環としての職責を果しえない場合もこれに該当すると解するのが相当である。そして、右条項の適用上右損害がなお救済に値する程度の損害といえるか否かは公共の利益との相関関係において決せらるべく、これらにつきさらに緊急の必要性の判断がなされるべきものであることはいうまでもない。

そこで、このような見地に立つて検討を進めるに、弁論の全趣旨により真正に成立したと認める疎甲第二、第六、第一〇および第一六号証、申請人本人尋問の結果により真正に成立したと認める同第一三号証、証人奥田秀一の供述により真正に成立したと認める同第一九号証、原本の存在ならびに成立に争いのない同第二三および第二四号証、疎乙第八、第九、第一八、第一九および第二一号証、成立に争いのない同第三および第一七号証、証人奥田秀一の供述ならびに申請人本人尋問の結果によれば、申請人は、昭和一九年九月高知県安芸郡赤野村国民学校訓導を命ぜられ、昭和二二年四月高知市公立旭中学校教諭に補せられ、爾来約二二年余高知市内各中学校教諭を歴任しているのであるが、この間昭和二六年四月から高知市教職員組合(以下、市教組という)の青年部長に選出されたのを始めとして、同書記次長を経て昭和三二年四月には市教組書記長に選出され右在籍専従役員として活動し、昭和三六年四月からは高知市立潮江中学校に勤務し、昭和三七年四月市教組副組合長、ついで、昭和三八年四月市教組組合長に選出され、その後六年にわたり連続してその地位にあつて組合活動を続け、昭和四四年二月二日市教組の役員改選が行われた結果またまた申請人が同年度の組合長に選出され、右役員改選に示された組合員の総意に副つた執行体制を確立しようとしていたこと。ところで、高知県教育委員会(以下県教委という)としては、高知県は全国的にみても北海道に次いで僻地校が多い地域であるため、昭和三九年頃から教職員が僻地に三年、平坦地に七年勤務した場合には原則として異動の対象とするとのいわゆる三―七方式を採用し、人事の交流を計ろうとする方針を打ち出し、昭和四三年頃からこれを具体的に適用実施するに至つたところ、申請人は、昭和四二年暮頃すでに引続き二〇年余りを高知市中学校教諭として歴任し、比較的有利な条件下に勤務していたため、早晩人事異動の対象となるであろうことを予期し昭和四三年度の異動については異動調書に留任又は転任とその希望を表示していたのであるが、県教委においては右三―七方式をその適用の初年度から完全実施するには無理があるとし、申請人には高知市教育委員会(以下市教委という)から転任の内申が出ていたにかかわらずこれを見送るところとなつたこと。そして申請人は、昭和四四年度の異動については前記前年度と同様の理由のほか、永年にわたる組合役員としての活動により健康を害していたので、その回復をはかる必要を感じ異動調書には、留任又は転任のいずれでもよいが、転任ならば高知市から通勤可能な地域を希望すると記載していたこと。被申請人は、市教委からの異動内申に基づき検討の結果、申請人の新任校である仁淀中学校で、社会・数学の免許を有する教諭が一名退職することとなつたので、申請人の自宅よりの通勤可能という希望条件を満すことはできなかつたが、右後任として退職教諭と同一の免許を有する申請人が適切であるとして本件転任処分を発したものであり、同時に申請人の妻も約一九年間高知市の小学校に勤務していたので右仁淀中学校から約一キロメートル離れているにすぎない名野川小学校に転勤を命じ、申請人らが同校職員宿舎に同居し、申請人において同所から仁淀中学校に通勤できるよう配慮したこと。そして、右転任処分により、結果的には、申請人は市教組の規約上は当然に同教組の組合員たる地位を喪失することになつたのは勿論右教組組合長としての地位に留ることも不可能となる(高知市教職員組合規約第二、第二四、第二五、第二八、第三四条参照)し、また、同教組としては改選後間もなく組合長がその地位を去ることは、同教組の執行部の弱体化を招来するに至ると危惧し、申請人に対する本件転任処分発令後においても右転任処分が不当であつてこれを容認することができないとして、昭和四四年四月七日の組合員集会の決定に基づき、申請人を市教組組合長として承認し、さらに同年六月の定期大会においてこれを確認のうえ、依然として申請人の組合長としての地位を維持していること。しかしながら、申請人が高知市下島町の自宅から新任地へ通勤するには約二時間を要するのでもはや通勤不能となり、やむなく申請人の妻が赴任した前記名野川小学校の職員宿舎に居住するに至つた結果、市教組組合長としての組合を統括する等の職責の遂行に支障を来していること、また、申請人夫婦がそれぞれ赴任する新任校はいわゆる準僻地校であるところ、申請人の妻は昭和四三年来高血圧症や過労のため倒れたこともあり高知市内の病院へ通院中であつたがこれが意のままにならなくなり、また、申請人には中学校三年、小学校六年の二児がありそれぞれ上級学校への進学予定であることから、右二児の希望もあつていずれも高知市内において勉学を続けさせざるをえないため、申請人の妻の妹に右二児の面倒をみて貰つている状態であり、申請人としても子供らと同居できないことによる精神上の苦痛のほか、右二重生活により経済的にも過分の負担を余儀なくされていることが一応認められる。そして右認定に反する疎明はいずれも採用できない。

右に認定したところに基づいて判断するに、市教組は、県都高知市の公立小中学校と市立高等学校に勤務する教職員により組織されたもので、高知県教職員組合(以下県教組という)の支部のなかでも最大の組織を有する支部であり、従つて市教組組合長としての地位、職責は特殊的なものがあると考えられるところ、その地位にある申請人が郡部への転任処分を受けることにより、その組合長としての職責を遂行する上に制約を蒙つており、従つて申請人においてこれらにより一応精神的損害を生ずることは否定できない。しかしながら、申請人は高知県における県費負担教職員であつて一般的に同県内の他の市町村に転任を命ぜられる地位にあることはいうまでもないところであり、また転任に随伴する個人的生活上の多少の不便苦痛は社会通念上やむをえないとみられる範囲内のものである限りこれを忍受すべきものと考えられる。ところで申請人はすでに二〇年余の長期にわたり継続して高知市内中学校を歴任しているというこれまでの勤務歴や健康管理上の理由もあつて、昭和四三年度以降の異動調書には条件付ながら転任希望を提出していたものであり、しかも高知市以外の転任もありうることを予期し、その際は必ずしも市教組における組合役員としての活動を固執しない柔軟な態度を持していたことが申請人本人尋問の結果から窺知できるのである。また、申請人の妻が、新任校の名野川から高知市内の病院への通院に不便であるとしても、新任校周辺地区において医療機関なしとしないばかりか、申請人の二児がいずれも進学を間近にして転校を避けたいという希望から別居するに至つていることはいずれも了とせられるけれども、これとても忍受しえないものとまでは考えられない。そして成立に争いのない疎乙第三号証、原本の存在ならびに成立に争いのない同第一八、第一九、第二一号証によれば、高知県全体で教職員組合員の約一割が組合役員であつて、仮りに組合役員なるが故に異動させられないとすれば教職員全体の人事が固定することになり県教委における人事の異動は困難となるから組合役員であるが故に常に一般的に異動の対象となしえないものとすることができないものであることが認められるのであつて、以上申請人の個人的ないし組合活動上の不利益と、執行不停止により維持される被申請人たる県教委の教育行政上の利益を比較衡量すると、申請人が蒙るという前示家庭生活上の不便苦痛は、すでに行政事件訴訟法第二五条第二項にいう回復し難い損害とまでは認めがたく、申請人に対する転任処分により生ずる組合活動上の不利益のみが右同条項にいう損害として評価されるにすぎないと言わなければならない。

そこで進んで右損害の緊急救済性について考えるに、申請人に対する本件転任処分の経緯ならびに申請人の昭和四四年度における市教組役員としての組合活動に対する当初の姿勢は、いずれも前示のとおりであつて、証人奥田秀一の供述、および、申請人本人尋問の結果によれば、市教組は県教組中でも最大の規模を有し、常任執行委員九名中二名の専従役員を擁しており、昭和四四年三月の定期異動時期において、同年度の役員として選出された者のうち書記次長、副組合長の二名が高知市内における書記局から遠い周辺部へ異動の対象とされたけれども、郡部への転出をみたのは申請人一人であつて、その後においても代理執行体制を確立することもなく経過している事実がそれぞれ一応認められるところであつてみれば、前掲疎明により、申請人が市教組においてその職歴ならびに活動歴からみて力量があり、さらに組合員の信望があることが、申請人らの弁疎するとおりであり、又申請人としても、組合長としての職責の遂行を決意していることが、それぞれ窺われるところであるけれども、前記諸事情をもつてすれば、なお、客観的にみて、申請人において右職責の遂行を制約されていることにより蒙る不利益を避けるため、本件転任処分の効力を停止すべき緊急の必要がある場合に該当するとの判断に到達するに至らず、他にこれを認めしめるに足る疎明がない以上、本件転任処分の執行停止については、右要件につき疎明責任を有する申請人に対し結局不利益に判断せざるをえない。

四、結語

してみると、本件転任処分の効力停止を求める申請人の本件申請は、その余の点について判断するまでもなく理由なきに帰するのでこれを却下することとし、申請費用の負担につき、行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 安芸保寿 稲垣喬 小野聡子)

別紙一の(一)

申請の趣旨

被申請人が、申請人に対し、昭和四四年三月三一日高知県高知市公立学校教員を免じ、同年四月一日、同県仁淀中学校組合公立学校教員に任命し、同組合立仁淀中学校教諭に補するとの転任処分の効力は、本案判決の確定にいたるまでこれを停止する。

との裁判を求める。

申請の理由

一、申請人は被申請人の任命にかかる教育公務員であり、昭和四四年三月三一日当時、高知県高知市公立学校教員で、同市立潮江中学校教諭に補せられていた者である。

二、被申請人は、申請人に対して、地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下「地方教育行政法」と略称する)第四〇条に基づき、昭和四四年三月三一日及び、同年四月一日付で、申請の趣旨記載のとおりの転任処分を発令した。

しかしながら、本件処分は左の理由により違法であるから取消されなければならない。

三、本件転任処分の違法性

(一) 本件処分は、申請人の所属している職員団体である高知県教職員組合の運営に対し、これを支配、介入しようとするものであつて、憲法第二八条及び、団結権及び団体交渉権についての原則の適用に関する条約第二条(以下この条約を「ILO九八号条約」と略称する)並びに結社の自由、及び団結権の保護に関する条約第三条(以下この条約を「ILO八七号条約」と略称する)に違反し、教育公務員の団結権を侵害するものであつて違法である。

1、職員団体の組織及び運営について

高知県教職員組合(以下「県教組」と略称する)は、高知県下の五五市町村の公立学校に勤務する教職員を以つて結成する各市町村教職員組合と、県立学校教職員を以つて結成する高等学校教職員組合、高知県短期大学教職員組合、並びに高知県立女子大学教職員組合との連合体であつて、地方公務員法第五三条第一項によつて高知県人事委員会に登録している職員団体である。そして、その組織運営のために、幡多郡、高岡郡、吾川郡、高知市、土佐長岡郡、香美郡、安芸郡の七地域に各支部を置き、別に高等学校教職員組合、短期大学教職員組合、女子大学教職員組合をそれぞれ独立の支部とし、以上一〇の支部を以つてその運営に当つている。

而して、右の地域別七支部には、その地域内の各市町村教職員組合(単位組合)が統轄され、それらの支部を郡教組(および高知市教組)と称されている。

従つて高知市教員組合は、県教組の単位組合であると同時に高知市支部である。

2、本件処分と団結権侵害

(1) 申請人は後述のとおり県教組、及びその単位組合の役員として組合活動に従事していた者であるが、とくに、昭和三八年四月以降同四四年三月まで連続七年間、県教組内の最大の単位組合であり、かつ高知支部でもある高知市教員組合(以下「高知市教員組合」と略称する)の組合長をつとめてきた者であり、さらに昭和四四年二月二四日の高知市教組役員改選によつてひきつづき昭和四四年度高知市教組の組合長に選任され、同教組の最高責任者として、その運営及び任務遂行に当ることになつている者である。

(2) ところで、県教組と被申請人との間では、かつて昭和三七年四月県教組土佐長岡支部の組合役員が、専従書記長を除いて全員転任させられるという不当人事異動があつたのをきつかけに、今後県教組は予め組合役員名簿を被申請人に提出することとし、被申請人は組合役員の人事異動については、組合の運営に支障をきたさぬよう十分配慮することを約し、いらい県教組は毎年三月、定期異動のなされる前に、組合役員名簿を被申請人に提出してきている。

しかるに、昭和四四年度の人事異動に当つて、被申請人は右の役員名簿によつて、県教組、及びその支部の組合役員を熟知していたにもかかわらず、高知市教組の組合長である申請人を高知市からはるか離れた仁淀中学校に転出させる旨の転任処分を発令した。

(3) 右は、高知市教組に結集する組合員の団結権を侵害するものであること明らかである。

即ち、前述のとおり、高知市教組は県教組の中でも、もつとも高い組織率(九〇パーセント)を誇つていた最大の単位組合であるが、後述のとおり、被申請人は毎年四月の定期人事異動を組合の組織破壊の手段として利用してきており、とくに昭和四三年三月末の定期異動において、教員の郡市交流の名をかりて、高知市に勤務する教員を大量に転出せしめ、転出者二九六名中、高知市教組組合員は二三四名を数える多数に及び、一挙に市教組の組織破壊をこころみるに至つたものである。

そして、昭和四四年三月末の本件処分を含む定期異動において、被申請人は、高知市内の教員一二九名を、又もや市外へ転出せしめ、その内組合員は一〇六名にものぼり、この二年間によつて約二〇〇名の組合員が減少するに至つた。しかも、今回は市教組の最高責任者であり、その役員経験年数からいつても、組合長として余人を以つて代えがたい申請人を、市外に転出せしめるに至つたのであり、本件処分は、高知市教組の運営及び任務遂行を著るしく困難ならしめるものであり、高知市教組に結集する組合員の団結権を侵害するものといわねばならない。

3、高知市教組の被むる運営上の具体的障害

県教組及びその支部である高知市教組は、日米安保体制下の教育の軍国主義化反対を中心に、定年制実施阻止、賃上げ闘争、その他労働条件改善の要求実現など、多くの課題をかかえているが、当然のことながら、組合長たる申請人は、これらの運動の企画、指導、執行の全責任を負つている上に、例年大量の人事異動が発令される年度末、年度初めにおいては、組合員の転入、転出の状況をいち早く調査確認し、各職場(学校)における定員及び、教科配置の是正や組合員個人の生活条件、勤務条件(通勤距離住宅施設等)の保全を図り、職場の組織体制を確立することが、緊急必須の任務となる。その上で、市教組の運動方針を決定する大会準備にとりくみ、運動方針案を作成するにいたるのであるが、これらは、いずれも組合長がその中心になつて推進していくものである。

とくに高知市教組の如く大きな単位組合において、上述の諸任務を遂行するためには、申請人のように過去七年間組合長として連続その衝に当つて来て、市内の組織情勢、職場環境に通暁している組合役員でなくては到底実行できない。従つて、申請人が本件処分によつて市外に転出させられるとなると、これらの諸活動は停滞し、高知市教組の運営は重大な困難に逢着することになる。

4、被申請人の団結権侵害の意図

(1) 日米安保体制に基づく教育の軍国主義化を押し進める自民党政府の反動的文教政策は、組合員の経済的、社会的、政治的地位の向上、教育の民主化と研究の自由の獲得、及び平和と自由を愛する民主国家の建設を三本柱として活動する日本教職員組合、及びその傘下の県教組を極端に敵視し、組織破壊を、つねにねらつているものであるが、とりわけ昭和三三年六月教職員の勤務評定実施を強行決定以来、民主教育を進め平和と民主主義を守るために、全国の先頭に立つて勤評反対闘争、学力テスト反対闘争にたちあがつた県教組に対し、被申請人は免職二五名、校長降格二七名、停職減給、戒告処分一、〇四一名という全国に例のない大弾圧を加えた。

(2) この大弾圧以来、被申請人はことごとく県教組の組合活動を敵視し、例年四月の定期人事異動を組合活動家、組合役員に対する報復的手段に利用し、組合員であるとの理由によつて、夫婦、親子別居を強いる転任や、毎年ごとの長距離異動等、組合員の団結権を侵害する人事異動は枚挙にいとまがなく、昭和三四年度から同三九年度の六年間の定期異動について、高知県人事委員会に申立てられた不利益処分の審査請求件数が四四七件に達し、昭和四〇年二月二三日、被申請人と県教組間でいわゆる「勤評和解協定」と称する和解が成立し、今後、組合員であるが故に不利益扱いはしないという約束で、右四四七件の不服申立を取下げたにもかかわらず、その後も、被申請人の組合員に対する不当人事異動はやまず、昭和四〇年度以降、同四三年度までの定期異動に対する不服申立件数は二九四件に達している。

(3) このような度重なる団結権侵害に対し、県教組は被申請人に対し、団体交渉を申入れていたが、人事問題は機密に属し、管理運営事項に当るなどと称して、被申請人は団体交渉を拒否しつづけてきた。しかし乍ら、昭和四一年九月一九日、地方公務員法改正についての日本教職員組合と自治省との交渉において、自治省行政局長、公務員課長は「公務員の人事問題であつても、勤務条件(通勤、住宅等)に関係するものは当然団体交渉の対象となる」との見解を出しており、県教組は自治省の右見解を引用しながら、被申請人に対しそのつど不当人事異動に対し、団体交渉を申入れていたところ、昭和四四年三月一一、一二両日の交渉において、ついに被申請人の渡辺教育次長も、自治省見解の内容を確認、了解し、とくに組合役員の人事異動については配慮するよう努力すると言明した。

而して、県教組は例年のごとく組合役員名簿を被申請人に手渡して、組合運営に支障の生ずる人事異動を行わぬように要請していた。

(4) しかるに、昭和四四年三月三一日発表された人事異動によれば、高知市教組については組合長である申請人を市外へ転出せしめ、さらに吾川郡教組については組合長、書記長を一挙に吾川郡外に転出せしめるという明白な団結権侵害の人事異動を含んでいることが判明し、同年四月三日、高知県総評の幹部がその不当性を被申請人に追及したところ、藤本県教育長は「今次人事異動についてはお叱りをうけることもあるが、今回力の限りをつくしたが満足のいくようにできなかつた」と述べて、本件処分等、組合役員の人事異動が暗に組合運営を阻害するものであることを認めるにいたつた。

右は、地方教育行政法第三八条によつて、県費負担教職員の任命については、市町村教育委員会の内申をまつて行うものとされており、本件処分についても高知県教育委員会の内申がなされているのであるが、とくに昭和四四年度の人事異動については、高知市教育委員会は強硬に高知市内の組合役員を転出せしめる意図を以つて被申請人に内申し、そのため高知市教委と被申請人間にあつれきが生じ例年三月二九日に発表される人事異動が、同月三一日に遅れて発表されるという未曾有の事態が生じその中で被申請人が市教委の団結権侵害を内容とする内申を、そのまま容認することとなり、前述の藤本教育長の発言となつたものである。

右の事実は、高知市教委の団結権侵害の意図をもつた内申に端を発しているものではあるが、それを知りつつ被申請人が任命権者として容認した以上、被申請人に団結権侵害の意図があるものといつてよい。

5、団結権侵害の効果

「以上のような団結権侵害の効果については、地方公務員法には労働組合法の適用が排除されており、従つて、不当労働行為救済制度が教育公務員には適用されないものであるが、しかしながら、公務員についても団結権は否定されておらず、(地方公務員法第五二条三項)地方公務員といえども、憲法第二八条にいう勤労者にほかならない以上、原則的には労働基本権の保障を受けるべきものであることは、最高裁中郵判決(昭和四一年一〇月二六日大法廷判決)も認めているところである。

さらに、ILO九八号条約第二条第一項には、「労動者団体及び使用者団体はその設立、任務遂行又は管理に関して相互が直接に、又は代理人若しくは構成員を通じて行う干渉に対して充分な保護を受ける」と規定しており、同じくILO八七号条約第三条は「〈1〉労働者団体及び使用者団体は、その規約及び規則を作成し、自由にその代表者を選び、その管理及び活動について定め、並びにその計画を策定する権利を有する。〈2〉公の機関は、この権利を制限し、又はこの権利の合法的な行使を妨げるようないかなる干渉をも差し控えなければならない。」と定めており、右二つの条約は日本政府も批准し発効しているのであつて、国内法的効力を有するものである。」

してみれば、本件処分の如き団結権を侵害し、県教組の支部である高知市教組の運営を支配介入する内容をもつ転任処分は、憲法第二八条に違反し、かつ公序良俗に違反するものとして無効であるといわねばならない。

(二) 本件処分は申請人が県教組支部たる高知市教組の役員として、組合活動をしたことの故をもつて不利益取扱をしたものであつて、地方公務員法第五六条に違反し無効である。

1、申請人の組合活動

申請人は昭和二二年四月、高知市の公立学校教諭に赴任して以来次のとおり県教組の組合活動に従事してきた。

イ 昭和二七年四月一日、高知市教組青年部長に選挙され、同年一〇月一日同教組書記次長となり、同二九年三月三一日まで書記次長として活躍した。

ロ 昭和三二年四月、高知市教組書記長に選出され、在籍専従役員として四年間活動した。その間勤務評定反対闘争等に積極的にとりくみ指導した。

ハ 昭和三七年四月、高知市教組の副組合長に選出され、一年後の昭和三八年四月、前述のとおり市教組の組合長に選出され、じ後今日まで連続七年間組合長の地位にあつて、積極的に活動していたのである。そして、昭和四四年二月二日市教組の役員改選の結果、昭和四四年度もひきつづいて申請人が、組合長に選ばれた。

2、被申請人及び高知市教育委員会の組合活動嫌悪の態度

前記の申請人の組合活動及び組合長としての任務遂行に対し、被申請人及び高知市教育委員会は、これを嫌悪していたものであるが、とくに昭和四三年に至るや、高知市教委は、従来の高知市学校管理規則を一方的に改悪するに至つた。右学校管理規則は、教職員の勤務に関する条項を含んでおり、その改訂に当つては、市教組との団体交渉の対象となるものであり、事実昭和三五年一二月、高知市教委と市教組の間で覚え書を手交して、学校管理規則の改訂については双方十分協議して行うとされていたにもかかわらず、前述のとおり一方的にこれを改悪したのは明らかに申請人ら組合役員の活動を規制するものであると同時に、高知市教組そのものを否認するにひとしい態度であるといわねばならない。

それと同時に、前述の如く昭和四三年度より、郡市交流の名にかりて、組合員の教員を大量に郡部に転出せしめ、組合長である申請人に対しても、従来の労働慣行を無視した規制を加え、時間外の組合活動について、いちいち制限し、監視するにいたつた。もともと高知市教委の堀川教育委員長は、かつて、県教組の執行委員として、勤評闘争等に積極的に活躍したが、その後、変節し教育委員長にまで抜てきされるにいたつた人物であつて、その反動的反組合的態度は傑出しており、今回の人事異動に当つても強硬に組合役員を市外に転出せしめる旨の内申を被申請人になし、このため前述のとおり高知市教委と被申請人との間であつれきが生じ、定期異動の発表が二日間遅れるという事態が生じたが、結局被申請人は、その内申を容認して、申請人を市外に転出させたものであつて、結論的には被申請人が申請人の組合活動を嫌悪し、申請人の高知市教組に対する指導力、影響力を減殺しようとして本件処分をなしたものといわねばならない。

3、不利益取扱について

(1) 申請人は、本件処分によつて高知市から転出することになり、当然市教組の組合員としての資格を喪失し(市教組組合規約第二条、第三四条参照)かつ組合長をも辞任せざるをえなくなり、前述三の(一)の3で詳述したとおり高知市教組の組織体制の確立を初め、昭和四四年度の運動方針策定、組合大会の開催など重要な組合活動の遂行が不能となり、本件処分が組合役員としての申請人に対して、組合活動上の不利益を与えるものであること明らかである。

労働組合法第七条一号の不当労働行為にいわゆる不利益取扱とは単に経済的待遇上の不利益のみならず、労働者の労働組合員としての活動に対して不利益を与える場合をも含むことは、判例のつとに承認するところである。(浦和地裁熊谷支部判決、昭和三二、七、二七、労民集八、四、四二八、東京高裁判決昭和三四、四、二八、労民集一〇、二、二五七)

ところで、右労組法第七条一号と同趣旨の規定をもうけた地方公務員法第五六条の「不利益取扱」も地方公務員に団結権を承認している以上、これを同意義に解すべきことは当然であり、申請人が被むる前述の組合活動上の不利益が、同条の不利益取扱に該当することは明らかである。なぜならば、「労働者は団結権を保障されているのであるから、切り離された個人としてではなく、組織体の一員としての観点からも、具体的に利益、不利益を考察すべきである」(前掲浦和地裁判決理由)からである。

(2) さらに申請人の妻も、高知市立秦小学校教諭であるが、本件処分発令と同時に、同校より吾川郡吾川村立名野川小学校へ転任することとなつた。しかしながら、申請人ら夫婦には小学校六年、中学校三年の二子があり、それぞれ上級校へ進学直前であるため、子供は高知市内に残留することとなり、そのための附添婦を一名雇入れて、申請人ら夫婦のみ新任校へ赴任せざるをえなくなつているが、この二重世帯によつて生ずる経済上、生活上の不利益は甚だしいものがある。

四、裁決を経ない本訴提起について

申請人は地方公務員法の適用を受ける教育公務員であり、同法第五一条の二により人事委員会に不服申立をなし、その裁決を経たのちでなければ、不利益処分たる本件処分の取消の訴を提起できないとされている。しかしながら、高知県人事委員会の不服申立審理手続は著しく渋滞し、昭和四〇年度以降四三年度の転任処分に対する不服申立は、現在二二六件係属しているが、そのうち審理に着手したものがわずか五一件であつて、残るとくに、昭和四二年二月に申立てられた県教組組合員二、七二二件の減給、戒告処分不服申立事件が、未審理のままとなつている。

かかる審理状況にある高知県人事委員会において、本件処分の裁決をえるためには、早くて五、六年を要するものと認められ、かくては申請人の本件処分によつて被むる不利益の迅速な救済を得ることはほとんど望みがない。右は申請人が裁決を経ないで訴を提起することについて正当の理由のある場合(行政事件訴訟法第八条、第二項、第三号)に該当するものであるから、申請人は裁決を経ないで本件処分の取消訴訟を本日御庁に提起したものである。(鳥取地裁判決、昭二五、一二、二〇、行集一、一〇、一三六〇、宇都宮地裁判決昭二六、四、一七、行集二、六、八三一、東京高裁判決昭二七、三、一八、行集三、二、三二一、参照)

五、緊急の必要性

1、申請人は本件処分によつて、新任校へ赴任せざるをえず、そのため申請人は高知市教組の組合長としての職務を遂行できなくなり、前述のとおり高知市教組の運営は著るしく阻害され、申請人及び市教組組合員の団結権は著るしく、侵害されるにいたる(以上の損害の具体的事実については、前記三の(一)の3記載の事実を全部引用する)そのことによつて、申請人は公務員労働者として経済的、社会的、政治的地位の向上の道をはばまれ、かつ、申請人は高知市教組の組合長としての職責を果しえないことよつて、甚大な精神的苦痛を被むるものであつて、これらの損害は金銭をもつて回復できないことはもちろん、原状回復の余地のないものといわねばならない。

2、さらに、申請人は本件処分によつて前述のとおり、二人の子供を高知市へ残したまま、夫婦が新任校へ赴任せざるをえなくなり、そのことによつて申請人は、著るしく精神上、経済上の損害を被むることになる。よつて、緊急に以上の損害の発生を避ける提置がとられる必要性がある。

六、以上により、すみやかに本件処分の効力の停止を決定されたく、ここに本申請に及んだ次第である。

別紙一の(二)

第一組合活動上の不利益について

一、被申請人の不当労働行為意思について

1、被申請人は申請人が組合役員であるからといつて特別な考慮を払うことなく、常に他の教職員と平等の取扱をしてきたものであるから、その結果としての本件処分は何ら不当労働行為に当らないと主張する。

しかし、それこそまさに、被申請人が旧来の市民法原理に基づく形式的平等論と、その上に全体の奉仕者論を重ね合わせて、公務員労働者の団結権を否認しようとしている態度を自白しているものといわねばならない。労働者に団結権が保障されているということはそれに対応する使用者の受忍義務を法認しているのであり、使用者は、団結権行使の結果を受忍し尊重しなければならぬのである。

従つて、労働者がその団結活動として申請人を高知市教組の組合長に選出し、その事実を使用者たる被申請人が熟知している以上、被申請人が組合長たる地位にある申請人に対し特別の考慮を払わなかつたことを目認するのは、とりもなおさず公務員労働者の団結権の効果を否定していることを自ら公言していることになるのである。

このことは、前述の悪しき形式的平等論をかくれみのにして、組合長である申請人を遠隔地に配転し、以つて組合活動、組合運営に不利益を与えようとした被申請人の真意を露呈しているものといわねばならない。

これほど赤裸々、かつ卒直に自らの不当労働行為意思を裁判上の主張において披露されていることにただおどろくほかないが、念の為一言する次第である。

2、そして事実は、以下のとおり、被申請人は一貫して人事権を組合破壊のために濫用してきているのであつて、前述の主張と照らすならば、被申請人の不当労働行為意思はきわめて明白である。

即ち、高知市教組についていえば、昭和四三年三月末の人事異動において、申請書記載のとおり大量の組合員を市外に配転せしめたほか、高知県管理職教員組合(以下高管教と略す)に加入している高知市内の小中学校の大小の民主的校長を昭和四三年、同四四年の三月末に郡部へ転出せしめ、その後任に被申請人及び地教委に迎合する校長を配置せしめ、さらに高知市教組の執行部を弱体化せんと企てて、その常任執行委員を組合側の再三の要請にかかわらず相次いで高知市周辺部の学校に配置して日常の組合業務遂行を困難ならしめ、同時に昭和四四年三月、本件処分によつて、申請人を郡部に放逐するにいたつたのである。そこにはまことに法則的に被申請人の不当労働行為意思が一貫してつらぬかれているのである。

二、組合活動上の不利益性

被申請人は申請人以外に多数の組合役員があり、それらの役員が申請人の組合長代理をつとめえられるから、なんらいうところの不利益ないし損害はないと主張する。しかしながら、組合が自主的にその必要に基づいて役員を選出しているのにたいし、第三者しかもこともあろうに使用者が、その役員の数を云々し、代理が可能などというのは組合運営に対する不当な介入、干渉であつて許さるべきことではない。

組合長たる地位にある申請人が、組合長としての業務遂行が不可能になることほど、組合活動上の不利益の大なるものは他にない。そして、組合にとつても、あるべき組合役員、しかも組合長が欠けるということ自体大いなる損害であり、代行の可能の有無を問わずその不利益性は明白である。

被申請人の主張は形式論に終始するものであつて、そのこと自体が不当である。それは組合業務の実態を知らない者のたわ言であつて、組合を冒涜するものといわねばならない。

三、組合活動上の損害

1、被申請人は執行停止の要件としての損害には、個人的損害のみが考慮さるべきで、市教組の運営上の損害はそれに含まれないと主張する。

しかし本件の如く、不当労働行為としての不利益処分がとくに組合活動上の不利益に関して発生している場合、その不利益性とは「法文上は個人を対象とするかの如き不当労働行為といえども、その個人に対する差別待遇などが組合全体の団結活動に影響を与えるからこそこれを禁止しているのであつて、そこで保護されるのは個人の利益ではなく、個人の救済を通じて組合の団結を擁護することに窮極のねらいがある」(本多淳亮「日本法上の不当労働行為制度」新労働法講座六巻三九頁)のであるから、労働者個人の権利利益であるとする場合でも、それは決して労働組合の団結権、団結活動と無関係な抽象的個人的権利利益ではなく、具体的内容をもつものとして理解されるべきである。

2、ところで高知市教組が、本件の四月人事異動以後に当面する組合業務は次の如くまさに多岐多様にわたつているのであつてて、これらの組合業務を組合長として遂行しえない不利益性及び損害は、組合長たる申請人個人にとつても又高知市教組にとつても、まことに甚大であつて、その団結権侵害の結果はまさに回復しがたい損害といわねばならない。

(1) 四月の人事異動に伴う大量の転入、転出、組合員の勤務条件に関する諸要求の解決

(2) 不当人事異動の撤回ないし是正の交渉

(3) 市教組分会組織の確立、整備(転入組合員の点検と新組合員加入の呼びかけ)

(4) 職場(学校)における勤務体制の確立(担当学級、担当教科、授業時間数、校務分掌、勤務時間の割振り等にかかわる校長との交渉)

(5) 自主研修権確保の運動(とくに高知市教委の職務命令による官制研修会の強行は近年とみに激しさを加えて来ている)

(6) 賃金闘争に対する組合内部の対策ととりくみ。

(7) 昭和四四年度運動方針と昭和四三年度の運動の総括の作成準備作業

(8) 今期国会の定年制法案、外国人学校法案、学校教育法一部改悪案、教育公務員特例法一部改悪案に対する対策

(9) その他日常の執行事項

第二公務員労働者の権利保全と違法処分に対する執行停止の必要性

一、行政事件訴訟法二五条の執行停止の要件

一般国民に対する権力的行政作用の優位性を殆んど無条件に肯定していたとも思われる戦前の行政法原理は、国民が行政庁の行為に対して行政裁判をおこしうる範囲を極めてきびしく限定することを当然としていた。

これに対し、現行の民主的憲法のもとでは国民や公務員の民主的権利擁護のために、違法な行政庁の行為や処分に対して法的手続による権利救済の途を広くしたことは、蓋し当然であろう。

このことは、違法な行政処分に対する執行停止の許される場合の要件の解釈とその運用についても、民主的法秩序全体の精神に照らして十分に考慮さるべきところである。

何故ならば、行政処分の優位性を強調する余り、或いはまた旧天皇制官僚体制下の行政法理論にとらわれて、行政処分については、たとえそれが違法なものであるにせよ、執行不停止の原則を余りに重視することに陥るならば、一般国民や公務員の実質的権利救済は到底なされ得ず、今日の民主的法原理にもとることとなることが極めて明白だからである。

旧行政事件訴訟特例法の一〇条の執行停止の要件が、現行の行政事件訴訟法二五条にとつてかわられ、その要件緩和の方向が具体的に明確にされた趣旨も右の見解に基づいて正しく解釈さるべきである。

こうした観点に立つて考えてみると、右の行政事件訴訟法における執行停止の積極要件としての「回復の困難な損害」とは、旧法における「償うことのできない損害」という場合よりひろく、一般的に言えば、原状回復ないし補填の困難な損害の存在を広く指称するものと解すべきである。

従つてそれは、単に金銭的賠償が不能な場合に限られず、「社会通念上その回復が容易でないとみられる程度のものであれば足りる」とされているのである(札幌高裁昭和四二・九・二五行裁例集一八巻八・九号一二一一頁、大阪地裁昭和三九・三・三〇行裁例集一五巻三号四〇一頁)。

そして、その内容は具体的には、今日の民主的法秩序と民主的公務員制度の下における行政処分の執行停止の制度のもつ意味と機能とに正しく着目しつつ、具体的事案の性質、内容にそくして、正しい社会通念に照らして判断されねばならないことはいうまでもない。

このことは、行政事件訴訟法における執行停止の他の要件、すなわち、消極要件としての公共の福祉に重大な支障があることについても、また、当該行政処分の違法性の疎明判断についても同様である。

この点は旧法のもとでは、執行停止を認める場合には、本案について理由があると認める……すなわち当該行政処分が違法であるという積極要件が必要であるとされていたのに対し、現行法のもとでは、本案について理由がないとみえる時には執行停止は許されないとして消極要件と定め、立証、疎明責任の問題としても、当該行政処分の適法要件については被申請人たる行政庁にその主張、疎明責任を負わせることとしていることからも明白である。而してこの場合、「本案について理由がないとみえるとき」という消極要件は、申請人において勝訴の見込みがないか、あるかに確定的限定的に考える必要はなく、たとえば、裁判所がこれについていずれとも確定的心証を得られない場合は、前記の如き立証、疎明責任の分配によつて「本案について理由がないとみえるとき」という消極要件は存在しないことになるのであるから、執行停止を容認すべきこととなるのである(緒方節郎「行政処分執行停止」兼子博士還暦記念裁判法の諸問題上七〇五頁参照)。

さらにまた、執行停止が許されない場合としての「公共の福祉に重大な影響があるとき」というのも、単に一般行政になんらかの支障がある場合というように解釈されてならないことはいうまでもなく、真に、かつ、具体的明白に重大な影響が現実に存在する場合に厳格に限定的に解釈さるべきであることは勿論、利益の単純な比較考量は適当ではないのであつて、当該処分の違法性や権利保全の必要性と相対的関係にあることに着目して、合理的に判断される必要があるのである。換言すれば、個人の利益と権利を違法不当な行政処分によつて実現される公共の福祉というようなことは容易に容認さるべきものではないはずだからである(緒方前掲論文六九九頁、今村成和「執行停止と仮処分」行政法講座三巻三一一頁参照)。

かくして、現行法の正しい解釈運用をはかるならば、旧法のもとにおけるが如く、行政庁の処分に対する執行停止は事実上殆んど認められないという旧来の実情を打破して、裁判所は正当な国民の権利保全のため、この執行停止制度の活用によつて行政庁の処分権の濫用を効果的に抑止するのでなければならない。

とりわけ本件は、行政事件訴訟法二五条による執行停止の申請手続をとらざるを得ないものの、一見明白なように、その事案の本質は明らかに労働訴訟であり、不当労働行為に対する団結権擁護の救済申立という本質をもつものである。

かかる本件の本質と具体的内容にそくして、本件執行停止申請の可否を正しく判断しようとする限り、今日の法秩序のもとにおける公務員労働者の団結権擁護という憲法の民主的条項の理念に立脚し、それとの直接かつ密接具体的な関連において、行政事件訴訟法二五条の執行停止の要件についての正しい解釈運用をはかるのでなければならないことはいうまでもない。

そこで次に、公務員労働者の団結権擁護という憲法上の要請、命題と本件の如き労働争訟としての執行停止事件の要件の解釈運用についての基本的な原則について論じよう。

二、公務員労働者の団結権の本質とその擁護の必要性

公務員労働者も、実質的には民間労働者とはなんら異なることのない社会的立場にあつて、労働者としてひとしく憲法二八条の労働基本権の保護を受けるものであること。

従つて、それが憲法一五条にいう「全体の奉仕者」であることや、抽象的一般的な「公共の福祉」理念によつてその労働基本権をみだりに制限されてはならないことは、かの最高裁全逓東京中郵事件判決のみならず、近くは、昭和四四年四月二日の最高裁東京都教組事件判決によつて明白に示されたところであり、異論の余地はない。

この意味で、われわれは公務員労働者に対する争議権禁止の現行公務員法は本来違憲無効なものであると考えるが、ここではその点は暫くおき、仮りに、公務員労働者に対する、国民生活に重大な支障を与える争議行為制限が、仮りに合憲であるとするならば、公務員労働者に対する正当な権利保障、生活権擁護のためには、ますますもつてその団結権の保障は重視され、団結権侵害行為たる不当労働行為の排除は厳しくなされる必要があることになろう。

この点は、憲法二八条の当然の要請であるばかりか、ILO八七号結社の自由に関する条約を日本政府がついに批准した事実ならびに、すでに古く政府がILO九八号団交権擁護不当労働行為禁止の条約を批准している事実に照らしても明白である。

特にILO九八号条約についていえば、ILO結社の自由委員会の実情調査調停委員会によるドライヤー報告が、日本政府に対し、公務員労働者に対しても、右九八号条約を全面的に適用し、公務員労働者に対する不当労働行為禁止の効果的な措置が速やかにとられるようにと勧告している事実は注目されねばならない。

しかるに未だ今日の公務員法制においては、団結権保障の為の不当労働行為禁止と組合活動の保障の効果的具体的措置はとられず、地公法五六条の運用にゆだねられたままの状態におかれている。

一方また、公務員労働者の労働争訟についても、処分が公権力の行使であるととらえられている関係で通常の場合、訴訟手続上、労働仮処分によることはできないとされている。

かくしてかような不当な法制度の事実上の不備の中で、公務員労働者の団結権と組合活動の保障という、極めて重要な憲法上の要請を個々の事実に応じて具体的にどう貫徹していくかが、本件についてもまた、避けることができない重要な課題となるのである。

このような観点に立つて、本件にそくして執行停止の要件についての合理的解釈運用をすすめる必要がある。

三、本件における執行停止の要件

以上のような観点に立つて本件執行停止申請事件をみるならば、その幾多の判例によつて認められているところの、民間労働者に対する不当労働行為の転勤命令の効力停止の労働仮処分とその本質を全く同じくするものである。

申請人らの如き労働組合の重要な中枢的幹部が当該労働組合の組合活動をなし得なくせしめられるということは、当該申請人自身が具体的に組合活動上の権利侵害と不利益を受けるというにとどまらず、それは同時に密接不可分、即自的関係において、当該労働組合そのものが蒙る団結権侵害たるものである。このことは、団結権という集団的権利の構造とその本質からみて極めて明白なところであるといわねばならない(労組法七条の一号の不当労働行為と同三号の不当労働行為の本質的競合性については学説、判例も異論をみない)。

従つて、執行停止の要件としての回復困難な損害ということについても、申請人の個人的損害の有無と程度に限つて考察することは許されず、前記の如き団結権の構造的本質に正しく着目して、申請人個々が蒙る組合活動上の不利益と当該労働組合の蒙る不利益の実質的競合と関連における不可分的団結権侵害の問題として把握されるのでなければならない。

而して、現行法における回復困難な損害という要件が、旧法における場合より広く認められるものであることはすでに一般法解釈論としてすでに述べたとおりであるが(この点は被申請人も認めているところである)、右の如き団結権侵害としての組合活動上の不利益も、今日の民主的労働基本権保障の法制度からみて、当然、行政事件訴訟法二五条にいう「損害」の中に含まれるものであることはいうまでもない。

このことは、憲法による団結権擁護の理念のみならず、地公法五六条が現に存する事実からみても明白である。

そしてまた、申請人らの蒙る組合活動上の不利益―団結権侵害―組合活動遂行上の困難が、組合活動の日常的、持続的、集団的本質やその機能からして、将来、到底容易に回復すべからざるものであることもまた言うまでもない。

このように、今日の民主的法秩序と、とりわけ公務員労働者の団結権保障の要請や労働組合活動の実態とその機能などにてらし、健全な民主的社会通念にそくして考察し、公務員労働者の権利保全という執行停止制度のもつべき機能を併せ考えるならば、本件についてみる限り、申請人らがそれぞれ不当労働行為の違法な転勤処分の執行停止を求める積極的要件が十分に肯認されるものであるといわねばならない。

このことは、高知県立短期大学田村和之講師が、公務員労働者の団結権保障の現状と問題点を正しく分析した結果次のように論じられていることからも明らかである(疎甲第一四号証報告書九頁)。

前述のように、執行停止の要件たる「回復困難な損害」にいう「損害」とは、個人的な権利利益の損害を意味すると考えるのが通説的見解である。とすれば、公務員が不当労働行為によつて被る損害も、個人的損害に限定されるのであろうか。また、労働関係における個人的権利利益の損害とはどういうことであろうか。

労働者の労働関係における権利利益には、個別的労働関係における労働者個人の権利利益に関するもの、ならびに、集団的労働関係における労働組合の権利利益に関するものとがあり、いずれも憲法上の労働基本権保障の内容をなしている。不当労働行為制度は、労働者の団結権保障の見地から、右のいずれの権利利益をも保護しているのはもちろんである。従来の考え方は、個人と労働組合の権利利益とは、それぞれ別個のものであるとする見解が多く、したがつて、労組法七条各号を、それぞれに分類して理解してきたようであるが「この分類は、便宜的機械的なものであつて、理論的なものといえないだろう。なぜなら、法文上は個人を対象とするかのごとき不当労働行為といえども、その個人に対する差別待遇などが組合全体の団結活動に影響を与えるからこそ、これを禁止しているのであつて、そこで保護されるのは個人の利益ではなく、個人の救済を通じて組合の団結を擁護することに究極の狙いがあるのである(本多淳亮「日本法上の不当労働行為制度」新労働法講座六巻、三九頁)」。このように考えるならば、労働者個人の権利利益であるとする場合であつても、それは決して労働組合の団結権と無関係な抽象的権利利益ではなく、極めて具体的内容をもつものとして理解されるのである。

地公法五六条は、労組法六条一号前段に相当する内容を規定するのみであり、したがつて、公務員の個人的利益を保護しているにすぎないようにもみえるが、公務員労働者の団結権擁護の観点からみて、組合活動全体への影響との関連から理解すべきであろう。地公法上の不当労働行為制度が保護する権利利益を労働組合活動から切り離された抽象的な公務員個人の権利利益のみに限定するならば、憲法の保障する団結権は空文と化するであろう。

このようにして、結論的にいえば、公務員労働訴訟としての行政処分執行停止の要件たる「損害」は、たとえ公務員の個人的権利利益の損害と解するほかないとしても、公務員の団結権擁護の観点から、個人的権利利益の内容を、労働組合活動との関連からとらえ、できるかぎり実質的に理解する必要があると考えるのである。

そしてまた本件執行停止をなすべき緊急の必要性についても、申請人の行なうべき組合活動が日常的不断のものであり、それがまた、当該労働組合の運営上不可欠のものであることも明白であるから、本件の違法な転勤命令の結果、不断に団結権が継続的に侵害されている事実にそくしてみれば、理論的にも、事実上も、本件処分の執行停止をなすべき緊急の必要性が、本件処分発令時は勿論今日でも具体的に存在していることは明白である(本件についての緊急性の判断は、不当労働行為事件の本質からみて、口頭弁論終結時ではなく、処分発令時を基準として判断するのが原則的には正しいことは前掲田村報告書七頁参照)。

しかも、別にも述べるような教育行政の全体的状況、補充措置の可能性の存在という事実に照らしても、本件処分の執行偉止が、公共の福祉に現実かつ明白な重大な支障を与えるものでないことも明らかである。

かくして、以上詳論したとおり、公務員労働者に対する団結権の保障と不当労働行為による権利侵害の排除という、今日の民主的公務員労働関係の理念と憲法二八条の労働基本権保障の具体的要請をつらぬき、公務員労働者の権利保全における執行停止制度の労働争訟としての本質と機能とに正しく着目しつつ、現行の行政事件訴訟法二五条の合理的かつ正当な解釈運用をなす限り、本件については、右法解釈とその適用上、申請人らの執行停止申請の要件は十分肯認さるべきことが極めて明白であるといわねばならない。

別紙一の(三)

第一公務員の労使関係の法的性格(公務員の労働基本権保障について)

本件事案は、高知県教組の単位組合である高知市教組の執行委員長及び吾川郡教組の執行委員長、書記長を、それぞれ管轄地域外の他部の学校に転出させて、所属組合員資格を喪失させ、役員の地位を剥奪したことにある。明らかにこの転勤処分は組合の団結権を侵害し、不当に組合役員選出の自由に介入するものに見える。その意味で、本件は、当然に疎明資料のみによつて、被申請人の処分の執行が、停止されてしかるべきであると常識的に考えられる事案である。

しかるに、一般私企業の労働関係と異つて、公務員の労働関係は、一見自明にみえる前記のごとき事案さえも、法理論的に極めて複雑な様相を呈し、公務員の労働関係の法的性格論という根本的な命題にまで立ち返らざるを得ない実情にある。こうした実情は、公務員労働者にとつて、まことに不都合な、不合理極まりない事態であつた。

現行憲法制定当初、憲法二八条の規定によつて勤労者に、団結権、団体交渉権、団体行動権が保障された頃には、公務員も一定の職種を除いて、右労働三権は全面的に保障を受けていた。従つて、この頃には一般私企業の労働者と公務員の労使関係上の法理論上の差異は全くなかつたのである。

ところが、昭和二三年七月三一日政令二〇一号の制定施行により、公務員の労働基本権が大幅に制限されて以来、公務員の労使関係を規律する法理論は「全体の奉仕者」という理念によつて支配され、本来労使関係を規律すべき労働法理論は全面的にじゆうりんされるに至つた。

こうして、公務員の労使関係の理論は、結局、戦前の旧い伝統的、封建的理論ともいうべき特別権力関係の理論を中心に公法上の権力行使の側面のみが強調されている。過去の昭和三〇年四月八日政令二〇一号弘前機関区最高裁大法廷判決、昭和三八年三月一五日最高裁第二小法廷判決、昭和四〇年七月一四日和教組専従事件最高裁大法廷判決等々は、この譜系に属する判例であるといえる。

しかしながら、公務員の労使関係を、憲法二八条の規定が存在しながら、右のように取扱うには、如何にも無理があり、労働法学者はもとより、少なからぬ公法学者の強い批判と、公務員労働者自身の抵抗運動によつて、遂に最高裁も、昭和四一年一〇月二六日いわゆる全逓中郵事件大法廷判決によつて、公務員の労働基本権に対する従来の見解を破棄して、公務員の労働基本権尊重の姿勢を打ち出し、更に昭和四三年一二月二四日いわゆる千代田丸事件最高裁第三小法廷判決へと進み昭和四四年四月二日いわゆる都教組事件最高裁大法廷判決へと発展したのである。

公務員の労使関係を規律する法理論は、こうして、従来の公法理論のみによつては今日到底正鵠な判断を導き出せなくなつており、公務員の労使関係は、労働基本権尊重の理念を指導原理として、修正をよぎなくされるに至つている。

本件の場合も、この推移を正しく認識することなしには、真の解明はなく、従前の公権力の行使としての処分という伝統的な公法理論から、労働者保護を指導理念とする労働法理論へ移行する時にあることを念頭に裁判官各位が、検討されんことを願うものである。

(一) 最近の最高裁判所の公務員の労使関係上の権利に対する見解について

前記全逓中郵事件判決は、憲法二八条の意義について次のように述べている。

「憲法二八条は、いわゆる労働基本権、すなわち、勤労者の団結する権利および団体交渉その他の団体行動をする権利を保障している。この労働基本権の保障の狙いは、憲法二五条に定めるいわゆる生存権の保障を基本理念とし、勤労者に対して人間に値する生存を保障すべきものとする見地に立ち、一方で、憲法二七条の定めうるところによつて、勤労の権利および勤労条件を保障するとともに、他方で、憲法二八条の定めるところによつて、経済上劣位に立つ勤労者に対して実質的な自由と平等とを確保するための手段として、その団結権、団体交渉権、争議権等を保障しようとするものである。

このように、憲法自体が労働基本権を保障している趣旨にそくして考えれば、実定法規によつて労働基本権の制限を定めている場合にも、労働基本権保障の根本精神にそくしてその制限意味を考察するべきであり、ことに生存権の保障を基本理念とし、財産権の保障とならんで勤労者の労働権、団結権、団体交渉権、争議権の保障をしている法体制のもとでは、これらの両者の間の調和と均衡が保たれるように、実定法規の適切妥当な法解釈をしなければならない。

右に述べた労働基本権は、たんに私企業の労働者だけについて保障されるのではなく、公共企業体の職員はもとよりのこと、国家公務員や地方公務員も、憲法二八条にいう勤労者にほかならない以上原則的には、その保障を受けるべきものと解される。

「公務員は、全体の奉仕者であつて一部の奉仕者でない」とする憲法一五条を根拠として公務員に対して右の労働基本権をすべて否定するようなことは許されない。」

この判決によつて、これまで「全体の奉仕者論」や一般的、抽象的「公共の福祉論」によつて不当に労働基本権の制限を受けていた公務員の労働基本権は、生存権確保の手段としての不可欠な権利として確認されたのである。それまでは、公務員の労働基本権は、実定法によつて制限されたばかりか、実定法の解釈適用の際にも徹底して全体の奉仕者の名によつて制限剥奪されて来た。全逓中郵事件判決の意義は、たんに公務員の争議行為に対する刑罰からの解放の道を示したことのみならず、根本的に労働基本権の権利性を強調したことに重大な意義があるといわねばならない。従つて、実定法による労働基本権の制限のみならず、実定法の解釈適用にあたつても、最高裁は「全体の奉仕者論」を否定していることを忘れてならない。

この全逓中郵事件判決は、昭和四四年四月二日いわゆる都教組事件最高裁大法廷判決に引継れ、発展し、公務員の争議行為に対する刑罰からの解放は、ほぼ達成され、更に民事制裁への手がかりをも示した。そして、昭和四三年一二月二四日いわゆる千代田丸事件第三小法廷判決は、労働基本権保障の意義と不利益処分との関係について「職員の労働基本権を保障した憲法の根本精神に照らし、また、職員の身分を保障している右公社法の趣旨にかんがみると、職員に対する不利益処分は、必要な限度を超えない合理的な範囲にとどめなければならないもの」と説示している。

最近のこれらの判決は、従来の公務員の勤務関係中、特に労働基本権と行政処分との理論上の衝突の場面における行政処分優位の立場を放棄して、労働基本権保障の精神を第一義的に当該事案の解明の基本にしていることが明白である。

本件事案は、職員団体である組合が、自主的に選任した役員を被申請人の転勤処分によつて奪われたいわゆる団結権侵害を理由とする争訟である。たしかに地方公務員法(以下地公法という)には、労働組合法七条が適用除外され、そのため、団結権保障に不可欠な不当労働行為制度がなく、わずかに地公法五六条の規定の運用にゆだねられたままの状態におかれている。また、団結権侵害に対する救済手続にしても、公務員の労働争訟については、処分が公権力の行使であると解されているため、通常一般に、訴訟手続上、労働仮処分によることはできないとされている。以上の事情は、明らかに公務員の団結権に対する実定法上、手続法上の制限であつて、全逓中郵事件判決が示した「労働基本権の制限は、労働基本権を尊重確保する必要と国民生活全体の利益を維持増進する必要とを比較衡量して、両者が適正な均衡を保つことを目途として決定すべきであるが、労働基本権が勤労者の生存権に直結し、それを保障するための重要な手段である点を考慮すれば、その制限は、合理性の認められる必要最小限度のものにとどめなければならない」とする原則を越えるものである。そのため、現実に公務員の団結権侵害は広範に行われ、野放し状態になつているのが実情である。

ILO結社の自由委員会の実情調査調停委員会によるドライヤー報告は、その点を次のように指摘している。

二二四八項の三四

「反組合的な差別待遇に関する申立てについては、本委員会は、かかる行為が広範に行われて、各種の労働者に影響をおよぼしており、その程度からすればこれらの行為は上級当局の承認あるいは黙諾を意味していると認定する。本委員会は政府の新しい労働政策が反組合的な差別待遇に対する苦情の処理について明確にその態度を変更しないかぎり、失敗するものとみている。(二一六八項)」

団結権に対する右のような制限を文字どおり解釈すれば、その制限は、合理性の認められる必要最小限度を越えて憲法二八条違反というべきであるが、前記の諸規定を後述詳論するように、解釈することによつて、その合憲性を保つことが必要である。即ち四・二都教組事件判決は「法律の規定は、可能な限り、憲法の精神にそくし、これと調和しうるよう、合理的に解釈されるべきもの」と述べている。

そうであれば、本件の争点となつている地公法五六条、行政事件訴訟法二五条の解釈は、憲法二八条の団結権保障の精神にそくして、これと調和しうるように、合理的に解釈されなければならない。その合理的解釈とは、後記二以下に述べるとおりである。

(二) 地公法五六条の解釈基準について

地公法五六条の解釈に際し、憲法二八条の精神を十分に考慮すべきであることについて前記のとおりであるが、地公法が昭和四二年に改正されたのは、ドライヤー報告にもとづき、政府が、結社の自由及び団結権の保護に関する条約(八七号)を批准したことに基因している。従つて地公法の第九節職員団体の各規定は、右条約に違反してはならず、又国際労働機関の勧告その他を解釈の基準とすべきものである。

ドライヤー報告二一七一項は「まず第一に政府は全体として省庁、地方当局、公共企業体等または地方公営企業体のいずれかに雇用されるかをとわず、すべての官公労働者に適用される一般労働政策をもたなければならない。この政策は最低限として、今日すでに日本にとつて国際的な義務である結社の自由及び団結権保護条約(八七号)と、団結権及び団体交渉権条約(九八号)の諸規定を、すべての官公庁労働者に対して、完全に適用することをただちに確保しなければならない」と述べている。ところで、八七号条約は三条で労働者団体が自由に代表者を選ぶ権利を保障し、その二項で公の機関が、この権利を制限し、干渉してはならないことを定めている。この規定を実効あらしめるためには、地公法五六条をこの規定にそくして解釈しなければならず、そうでなければ、同条約違反のそしりを免れない。

また、実際にも、地公法の不利益処分の解釈について、職員団体の役員たる地位及び組合員たる地位を失わざるを得ないことは地公法四九条にいわゆる不利益処分に該当するとする青森地方裁判所昭和四三年五月三一日決定がなされている。この決定こそ、最近の最高裁判決の動向及びILO八七号条約の精神に基調を置く解釈を示すものといえよう。

以上、概括すれば、今日の公務員の労使関係を基盤とする紛争を処理する法理論は、戦前のふるい特別権力関係論を否定し、労使対立等の原理に基づき、団結法の理念を中心に解明されるべきであつて、公務員個々人の勤務関係を規律する法理とは、厳然と区別しなければならないのである。行政処分の公権力の行使としての特殊な効力も、労働基本権の前には、その力を発揮し得ない制約を認めてこそ、生存権確保の権利、それも憲法上の権利としての団結権の真の保障を達成することにほかならないからである。

第二本件転任処分の違法性

一、本件転任処分は地方公務員法五六条に違反し無効である。

(一) 県教組高知市支部(高知市教組)と申請人の団結権

教育公務員も労働者である以上、憲法二八条において保障されている団結権を当然行使できる立場にある。このことは最高裁判所においても認められているところである(昭四一・一〇・二六大法廷判決、昭四四・四・二大法廷判決)。

而して、地方公務員についても、この団結に対する不当労働行為を排除されなければならないとして、労組法七条一号に対応する組合活動を理由とする不利益取扱いの禁止条項が地公法五六条に明定されている。

ところで、被申請人は高知市教組が地公法上の登録職員団体でないところから、団結体としての高知市教組に対しいろいろ論難を加えているが、教育公務員に団結権が保障されていることの法的意義は、まさに「労働者は事前の認可を受けることなしにみずから選択する団体を設立し、及びその団体の規約に従うことのみを条件として、これに加入する権利をいかなる差別もなしに有する」(ILO八七号条約二条)ということにある。

従つて、高知市教組が県教組の一支部として、それらの構成員の自主的民主的な結成、運営をはかつている以上、その団結権は当然ながら、使用者、自治体から尊重され保障されなければならない。

被申請人がさかんにひきあいに出している地公法五三条の登録制度は、そもそも憲法二八条、ILO八七号条約二条、三条にていしよくするものであり、もしも地公法上の登録制度が地方公務員労働者の団結権行使の必要的条件であるとするならば、それは明らかにILO八七号条約のみならず、憲法二八条に違反したものといわねばならない。従つて、被申請人の右の態度が、高知市教組は非登録職員団体であるから、何らその団結権を保障するに足らないものであるという態度の告白であるとすれば、これほど明々白々たる団結権否認は他に例がないと断じてよい。

(二) 申請人の組合活動

1、申請人は県教組結成以来の組合員である。昭和二七年四月高知市教組青年部長に選出されたあと、すでに同年一〇月には同組合の書記次長の職に選ばれ、さらに昭和三二年四月以降四年間、同教組専従書記長として活躍し、同三七年度は副組合長、同三八年度以降四三年度まで連続七年間高知市教組の組合長をつとめあげ、さらに昭和四四年二月二四日の高知市教組役員選挙によつてひきつづき昭和四四年度の組合長に選出されていた。

要するに、申請人は県教組の中心支部であり、最大の単位教組でもある高知市教組の最も経験の深い最高責任者として組合運営に当つてきた者である。

2、申請人の右のような組合最高幹部としての長い経験の中には数え切れない闘争、成果、貢献が蓄積されているが、最近における申請人の組合活動をみても、昭和三七年以降高知市教委と高知市教組が話合の上で、高知市教組の発想で運営されていた研修活動である全市研修会に対し高知市教委が、昭和四三年三月になるや一方的権力的に職務命令で以つて実施するという自主研修権侵害の暴挙に出たいわゆる全市研闘争において、申請人はその先頭に立つて市教委に抗議し、交渉し、同年六月の江ノ口小学校の研修強行反対闘争の際には申請人自らピケツトを組んで闘争指導に当つた。当時、申請人のこの積極果敢な活躍は高知市教委の憎悪の的となり、細川を処分せよとの声まで聞かれるにいたつたのである(奥田証言六〇丁、六二丁)。

右のような積極的な組合活動の反面、申請人の豊富な経験と温厚な人柄とから、申請人は団体交渉あるいは職場交渉においても余人を以つては代えがたいたくみな手腕力量を有しており、文字どおり高知市教組にとつてはかけがえない組合長として活躍し、組合員の信望を得ていたのである。(奥田証言七五丁)

(三) 被申請人及び高知市教育委員会の不当労働行為意思

申請人の前記の如き組合役員としての活動と組合員に対する影響力指導力に対し、高知市教委は極度に嫌悪し、とくに市教委の堀川教育委員長は、かつて県教組の常任執行委員(調査給与対策部長)として組合活動にたずさわつていた人物であり、申請人にとつては先輩格に当るのであるが、その後変節して教育委員長となるや、かつての僚友を相手に廻して団体交渉の席につくこととなり、堀川委員長にとつてはことのほか申請人が煙たい存在として映つていたのである(申請人本人尋問調書二二丁以下)。

この堀川教育委員長は、被申請人が長年のぞみ企図していた県教組の中心支部高知市教組を破壊することがその主な任務とされているかの如き教育委員長であつた。

すなわち、彼がまず教育委員に就任した直後の昭和四〇年七月、堀川氏は直ちに自から学校現場を訪問して組合の動向を調査し、翌四一年一二月教育委員長に就くや「いかなる団体とも会わないということを口実にして」、従来の市教組と市教委との人事異動をめぐる団体交渉を一切拒否するにいたつた。(奥田証言一八丁以下)その上で昭和四二年三月の人事異動には、まず骨格人事(校長人事)によつて反動的な校長を高知市に集め、つづいて昭和四三年三月いわゆる高管教所属の民主的な校長八名を一挙に郡部に転出せしめ、同時に郡市交流の名の下に組合員二三四名を郡部に転出させたのである。

このような前例のない大量人事異動を堀川委員長は何ら組合と協議もしないで敢行し、その組合弾圧の意図をあらわすにいたつたのである。

これに対し、市教組はその不当をきびしく追及するとともに、昭和四三年一二月一〇日付の「昭和四四年三月末人事異動に対する申入れ」(疎甲第一一号証)を市教委に手交して、ねばりづよく交渉するなかで、ついに昭和四四年三月一五日頃、市教委は市教組との人事異動をめぐる団体交渉に応じるにいたつた。そして、その交渉の席で市教委の山中課長や田島係長らは、市教組の申入れ、とくに右申入れ書六項に示されている組合役員の人事異動についての要請に対し、「よくわかりました。努力します。」と答えていたのである。

しかるに、三月三一日人事異動が発表になるや、組合長である申請人が遠く吾川村に転出させられるという事態が発生した。これは後記二の(一)の2で述べるように、あきらかに堀川委員長を中心とする高知市教委や地教委連絡協議会の組合否認の態度の現われ以外の何者でもないのである。昭和四三年一〇月学校管理運営規則を一方的に改悪して申請人ら組合役員の組合活動を制限、規制してきたのも、その伏線であつたといつてよく、市教委の反組合的姿勢は頂点に達していたのである。

そして、このような市教委の態度は、後記二の(一)の2で述べるとおり、県教組が被申請人との間で昭和四四年度人事異動に関する基本原則の確認をとりかわし、いわゆる自治省見解を尊重し不当労働行為に及ぶような人事は行わないことを言明するにいたるや、堀川教育委員長を中心とする中央教育事務所管内の地教委はこぞつて被申請人に横槍的な申入れ書をつきつけ、職員団体との人事に関する話合いは行わないとか、行政的取引を行うべきでないとかの表現(疎乙第六号証)で以つて、組合役員の転任を被申請人に迫つたのである。それに対し、被申請人は疎乙第七号証のような内容の回答をかれらに発するとともに、県教組との間で交わした人事異動の基本原則を反古同然のものに帰せしめ、結局、高知市教委の内申(申請人を仁淀中へ転出させる)を容認するにいたつたものであり、被申請人も高知市教委の上述の如き不当労働行為に同調したものというべきであり、本件処分が申請人の高知市教組に対して有している影響力、指導力を排除、減殺せんがためのものであることは明白である。

(四) 不利益性について

1、申請人は、本件処分によつて高知市から吾川村に転ずることを余儀なくされ、その結果高知市教組の組合員たる資格を失い(組合規約二条、三四条二項)、かつ、同教組組合長も辞任せざるをえなくなるのである(規約二八条2号、三四条二項)。

この点、被申請人代理人らは地公法五三条五項が職員でない者を役員としている職員団体を認めていることをもつて、申請人が高知市教組組合長を辞せざるをえない事態をいろいろ論難しているが、右法条は単に登録職員団体の資格の問題として規定しているものであつて、申請人の属する高知市教組がどういう組合規約をもたねばならぬかを規定したものではない。それはまさに組合が自主的に決定する問題である。従つて、高知市教組の規約が、高知市内の組合員を以つて構成し、その組合員から役員を選出すると定められていることを使用者である被申請人において何ら論難する余地はなく、それはむしろ組合に対する不当な干渉である。

申請人は高知市教組の規約上、原則として郡部に転出された以上、組合役員を辞せざるをえないのである。もつとも、本件の如き被申請人の不当労働行為によつて郡部へ転出させられた場合に、組合がそれを甘受して申請人の組合長職を辞させるか否かは、別個の問題であつて、当然の事ながら組合は不当労働行為によつて転出させられた申請人に対し、依然として組合長としてとどまることを組合大会で確認決定している。(奥田証言一〇丁ウラ。)しかしその特別措置によつて申請人の蒙る組合活動上の不利益性が減少するものでないことは次に述べるとおりである。

2、申請人は非専従の組合長であり、片や在籍校における教育活動を行うと同時に組合役員としてこの活動を遂行しなければならないのであるが、さらに県教組が連合体としてその各単位組合の組織活動、運営の上で地域支部をもうけている以上、地域支部の役員は当然の事ながらその地域の学校に勤務し、その地域支部の職場の実施、労使関係に直接身を置いて活動している者でなければ、その支部の運営をはかりえないものであることは見易い論理であり、激動する労使関係とくに今日の教育現場の実状からしてこの事は実際上も必須の条件となつている(従つて規約上も支部に在籍する組合員から役員を選出することに定められているのである)。

しかも、申請人は組合長として高知市教組の中枢的幹部であり、組合の日常的業務執行から、企画、運営、総括等全般にわたつて組合業務を統轄しなければならぬものである。

その組合長が郡部へ転出させられたというのであるから申請人にとつては全くその職責を遂行できないに等しい不利益を蒙るのは何人にも明白な事実であり、現に申請人は緊急を要する仕事以外は組合長としての職務を遂行できず、緊急の場合にでもなかなか要請に応えられない状態である。その不利益たるや推して知るべしである。その上、自らは高知市内に身を置いていないのであるから刻々の労使関係については日毎に疎くなり、適切な判断がおろしにくくなる。それは今や被申請人の不当労働行為にプロテストする意味での組合長という存在でしかあり得なくなつてきているのである。

3、右にいう申請人の蒙つた不利益は組合活動上の不利益をさすものであるが、労働組合法七条一号の不利益取扱には、組合活動上の不利益を含むものであることは判例、学説の承認するところである。

してみれば、地方公務員に団結権を承認した結果として、労組法七条一号と同趣旨の規定をもうけた地公法五六条の「不利益取扱」も労組法七条一号のそれと同意義に解すべきであることは当然である。すなわち、労働者に団結権を保障していることの意味は「労働者を切り離された個人としてでなく、組織体の一員としての観点からも具体的利益、不利益を考察すべきである。」(浦和地裁熊谷支部判決昭三二・七・二七労民集八・四・四二八)ということであり、「法文上は個人を対象とするかの如き不当労働行為といえども、その個人に対する差別待遇などが組合全体の団結活動に影響を与えるからこそ、これを禁止しているのであつて、そこで保護されるのは個人の利益ではなく、個人の教済を通じて組合の団結を擁護することに究極の狙いがあるのである」(本多淳亮「日本法上の不当労働行為制度」新労働法講座六巻三九頁)

この点について、被申請人は、教育公務員としての立場と、一企業の労働者の立場とは公共の福祉の観念の意義において異なることを理由にして、前掲浦和地裁の判決を引用するのは誤りであると主張しているが、団結権の内容において公務員労働者たると私企業労働者たるとによつて異なるものでないことは自明の理であり、団結権侵害の効果においても異なるものではない。被申請人が団結権の行使ないし団結権侵害の問題において、唐突にも公共の福祉概念をもちこんでくることの意味が理解しえない。第一に「教育公務員としての立場と、一企業の労働者の立場とは公共の福祉の観念の意義においても異なる」ということの意味が何をいつているのかわからない。

労働組合は政府や地方公共団体などの公的機関の保障によつて成長してきたものではない。むしろ、それらからの弾圧や介入を排しながら発展してきたものであり、その存在が労働者の生存権をまもる唯一の担保であるという厳粛な事実に立脚して団結権が保障されたのである。従つて、団結権保障を語る場合、国家権力ないし公的機関及び使用者から自由を労働組合に保障することは不可欠の要請である。その団結権保障の原理的要請にてらすならば、公共の福祉概念をもち出して、団結権侵害の結果(不利益性)を薄めようとするなどはとうてい許さるべきではない。

4、次に被申請人は、本件転任処分によつて、高知市教組の運営、組合活動に支障をきたすことは承知できるけれども(渡辺勉証人調書第七回口頭弁論調書一〇四丁・一三四丁ウラ)それは組合役員だからという理由で転任処分をしたのではないから、不当労働行為には該当しないということをさかんに強調している。それと同時に、人事異動発令操作に当つて、被申請人は対象者たる教員が組合員であるか否か、あるいは組合役員であるか否かは全く考慮にいれなかつた事を明言しつつ、それがあたかも不当労働行為性を否定する一つの重要な微表であるかの如く述べている。しかしながら、右の各事実は決して被申請人の昭和四四年度人事異動にあたつての態度を正当づけるものではない。第一に被申請人は教育効果の向上と郡市交流の円滑化のみを中心にして人事異動の操作に当つたものであつて、組合の団結権については全くの白紙状態でのぞみましたといいたいのであろうが、組合の団結権について白紙状態でのぞむこと自体が致命的な誤りであるということに気づいていない(或は気づいていて問題点をそらすためにそのように述べているとも考えられる)点で違法である。

労働者に団結権が保障されているということは、それに対応して使用者に団結権行使の結果を受忍し尊重しなければならぬことを義務づけているのである。渡辺教育次長も不当労働行為になる人事ヘしてはならないことは自分もわかつていたといい、「憲法・法律にもあるとおり不当労働行為は絶対してはいかんということは今も変つていません。」と述べている(第七回口頭弁論調書九一丁ウラ)。この言は、組合及び組合員の団結権は絶対尊重しますということを意味する筈である、だとすれば、人事に当つても、その人事異動が団結権を侵害することになるかならないのか即ち、組合の運営を阻害するかしないかを、絶えず考慮いたしておりますということにならなければならぬ筈である。しかるに、藤本教育長も渡辺次長も一切そんなことは考慮に入れなかつた、むしろ組合役員だからといつて人事異動について考慮することは「不当介入」になるというのである。「憲法や法律にもあるとおり不当労働行為は絶対にしてはいかん」という渡辺次長のこのおごそかな言葉の実体は以上のような全く団結権を無視した人事異動操作となつて現われるのである。即ち、組合長がとばされようが、書記長がいなくなろうがそんなことは一切かまつておりませんということになるのである。これが憲法、法律の絶対遵守といえるだろうか。

第二に、被申請人は本件人事異動に当つて白紙状態でのぞんだかの如くいつているが、事実としても被申請人の認識は組合の団結権行使について白紙状態ではなかつたのである。即ち、渡辺次長(被申請人側の人事異動操作の直接事務担当者である)は申請人が組合幹部であることを知つていたというのである(申請人細川については高知市教組の組合長であり、申請人井上、同関田が吾川郡教組の幹部であることまで知つていたという。第七回口頭弁論調書一〇〇丁以下)。ことに申請人細川にいたつては、「今度組合長になつたのでかわるわけにはいかんという話」があつたことまで知つていたのである(同調書一〇〇丁)。右は昭和四四年三月一五日付で県教組委員長より藤本教育長に「申入書」と題する組合役員名簿が手交されている事からしても当然、被申請人は熟知していたのである。しかも、前述のとおり、渡辺次長は申請人らを転出させれば、組合運営に支障がないとはいわない、支障があるということを認識しえていたというのである。

以上のとおり、組合幹部であることを知つており、その幹部を転出させたならば、組合運営に支障の起こることを予測し得つつなお転任処分を発したというのは、もはや団結否認を自認しているものといわねばならない。しかも、前述(三)の項で述べた従来までの被申請人の反組合的態度と地教委の申請人に対する組合活動嫌悪の態度とを併せ考えるならば、本件処分が地公法五六条に該当する不当労働行為であることは明白であり無効である。

二、本件転任処分は以下のとおり裁量権を濫用したものであるから違法である。

被申請人には教員転任人事について裁量権が授権されるが、他方、教育公務員には教育基本法六条二項にとくに「法律に定める学校の教員は全体の奉仕者であつて、自己の使命を自覚しその職責の遂行に努めなければならない。このためには教員の身分は尊重され、その待遇の適正が期せられなければならない」と規定されており、教育公務員に独得な身分保障原則に基づく法的制限が存するのである。(右にいう「全体の奉仕者」と憲法一五条二項の「全体の奉仕者」との差異については、兼子仁「教育公務員の身分保障に関する法理」参照)

即ち、教員に対する転任処分が、当該教員本人の教育活動を過度に阻害したり、或は各学校の教育活動全体について過度に阻害する結果となるものは、裁量権の範囲を越えたものとして違法といわねばならない。

さらに、その裏返しとして、教員の転任人事は教育活動の助長を目的とするものでなければならぬ以上、それが教育活動の助長以外の目的で行れた転任処分は、裁量権を濫用したものとして違法であるといわねばならぬ。以下、本件転任処分に即してその裁量権濫用たるゆえんを詳述する。

(一) 本件転任処分は、何ら教育活動の助長を目的としたものではなく、高知県教組及びその支部の運営を支配し介入せんがためになされたものであり、団結権侵害を目的としたものであるから、裁量権の濫用であり違法である。

1、被申請人の組合弾圧人事の歴史

本来、人事異動、とくに教員配置の異動をもたらす転任人事は直接教員の勤務条件、労働条件の変更を伴うのであり、その転任人事の結果如何は教育活動の中味に重大な影響を与えるので、県教組としても転任人事に伴う労働条件の維持改善と教育効果の向上との調整をいかに人事行政に反映させていくかという観点から、それぞれの機関に人事委員を選出し、被申請人及び各地教委と希望と納得のいく人事が行れるよう努力し、現に昭和三三年頃までは、被申請人の転任人事はつねに組合から選ばれた人事委員及び郡教組の組合長、書記長と協議の上、教員側の意見を尊重された上で実施されていたのである。(津野証言、門脇証言)

しかし、昭和三三年六月教職員の勤務評定実施を強行決定して以来、被申請人は、民主教育を進め平和と民主主義を守るために全国の先頭に立つて勤評反対闘争、学力テスト反対闘争に立ちあがつた県教組に対し、狂暴な弾圧を加えると同時に、それ以降、被申請人は際立つて転任人事を組合弾圧の手段として行使するようになつたのである。

そのために、前述の組合側代表の意見を聴取尊重するという人事慣行は被申請人によつて一方的に破棄され、さらに当時なお各教育事務所に配置されていた民主的な事務所長補佐ないし管理主事が昭和三五年三月末を以つて教育事務所を追放され、被申請人の企図する組合破壊の人事管理体制が整備されていつた。(津野証言一六丁以下)

代つて教育事務所に配置された管理主事はいずれも、県教組弾圧、脱退工作を任務づけられた人たちによつて占められた。その典型が昭和三六年度から三年間、中央教育事務所長として就任した西本澄夫であり、その同じ期間、県教育委員会学校管理課の管理主事であつた竹森富士雄である。そのあくどい直接的な利益誘導、おどしによる脱退工作と報復人事は、実に六年間に八回も僻地を転々とさせられる教育破壊、生活破壊の転任処分を生んだり、自らの家産を売り払つて「石をもて追われる如く」新しい土地に居を移すという流刑的人事が重ねられたのである。(寺尾証言六丁以下、門脇証言一一丁以下、津野証言二〇丁以下、疎甲第二一号証)

これらの極端にひどい転任人事、組合弾圧人事は、昭和三四年度から同三九年度までの間に、それまでほとんどなかつた人事委員会への不服申立件数が、実に四四七件の多きに及んでいる事からしても明瞭に看取できるのである。

このようにして、組合員に対し大規模かつ狂暴な弾圧人事を強行した被申請人は、つづいて第二弾の攻撃として、組合幹部を転出させ、組合運営を不能におとし入れるという措置に出てきたのである。昭和三七年三月、県教組土佐長岡支部を当時の専従書記長を除く、組合長、副組合長、書記次長ら幹部全員を郡外へ転出させるにいたつたのがそれである。

それは、前述のように直接的な脱退工作によつて脱落していつた旧組合員をその報償として、高知市及びその周辺の地域に配置する必要が生じることになり、かつ、県教組を破壊するためには、その中心支部(即ち高知市教組)を破壊することなしには成功しないことを知りつくしている被申請人にとつて、高知市教組の組織破壊がむつかしいならば、その周辺支部を攻撃せざるをえないという被申請人なりの戦術的要請から、土佐長岡支部、吾川支部という高知市周辺支部が当面の攻撃目標にあげられるにいたつたことを物語つているのである。

昭和四二年三月から連続三年間、吾川支部の組合役員が郡外転出の攻撃を受けたのも右の如き、被申請人の意図的な組織破壊、団結権否認の転任人事を裏付けているのである。

そして、その頂点として、遂に県教組の中心支部である高知市教組に手をつけるにいたつたのである。被申請人は勿論そのための大義名分を用意することを忘れてはいなかつた。郡市交流の円滑化、硬直人事の打開というのがそれである。しかし、これらの美名のもとに、高知市教組の多数の組合員は一挙に夫婦別居を強いられ或は気息えんえんたる老母をタクシーに看護婦同乗の上で任地に赴かせるというような非人道的な転任処分が行われたのである。これで教育活動を助長できるといえるであろうか。それは高知市教組弾圧のための口実にしかすぎないのである。

何よりも、高知市教組の組合長である申請人細川を、組合長と熟知しつつ、仁淀の山奥へ転出させたこと自体がそれを如実に示しているのである。

以上、被申請人は人事異動の名の下に、県教組及びその支部の組織破壊を右の如くまことに法則的に実施してきたのである。

2、昭和四四年三月一一日から同年三月三一日までの経過

右のような一貫した被申請人の団結権侵害の人事異動に対し、県教組は被申請人に毎年団体交渉を申入れていたが、人事異動は管理運営事項に当るなどと称して被申請人は誠実に国交に応じようとはしなかつた。

しかし、近時、公務員労働者の労働基本権保障については、ILO闘争をはじめ十数年来の基本権奪還闘争の前進の中で、ようやく最高裁判所も公務員労働者の労働基本権保障について積極性を示し、いわゆる全逓中郵判決が出されるようになつたのであるが、そのような情勢を背景に、県教組は昭和四四年度の人事異動については、とくにきびしく被申請人に対し公務員労働者の基本権を保障するよう求めるとともに、人事異動の基本原則について県教組の立場からする全般的な要求を提示してとりくんだのである(疎甲第一八号証)

昭和四四年三月一一日、被申請人と団体交渉をもつた際、県教組はいわゆる「人事異動もそれが勤務条件に関係するものは当然団体交渉の対象となる」との自治省見解を被申請人に呈示してこれを確認了解させるにいたつた。その上で、「人事異動の基本原則の確認に関する申入れ書」の各項目について、渡辺次長と逐一検討に入ることになつたのである。

この点について、被申請人は右自治省見解を確認了承したことはないと抗弁するけれども、三月一一日にひきつづく三月一二日、同一八日の三回の団交にわたつて、まさに被申請人にしてみれば管理運営事項そのものに該当するような事項について、渡辺次長は逐条審議に入り、一つ一つ「努力する」、「確認する」などの回答を県教組幹部に与えているのであつて、被申請人が従来にない積極的な態度をとつていた事はいかにしても否定することは不可能である(渡辺証言第七回口頭弁論調書一〇七丁以下)。その中で、渡辺次長は「不当労働行為は行わない」ことを確約するにいたつたのである。だからこそ、新聞もこの被申請人の積極的な態度を報道したのである(疎甲第八号証の一)。

而して、被申請人は右のような人事異動の基本原則について県教組と協議し確認しあつている期間中は、一時、人事異動の操作、作業をストツプさせており、右基本原則が確認され終つた時、教育次長はその趣旨を教育事務所長をはじめ、人事異動の担当係官に周知徹底させる処置をもとつていたのである(門脇証言、渡辺証言)。

しかし乍ら、実はこの従来にない積極的な(と見られる)被申請人の前に、思わぬ伏兵がいたのである。高知市教育委員会、土佐長岡郡地教委連絡協議会、吾川郡地教委連絡協議会がそれである。「教員異動、交渉応じる」との高知新聞記事が出されるや、これら三団体は被申請人の態度をあたかも県教組への屈服とでも受けとめたかのように、三月二六日人事異動発令直前になつて「申入れ書」(疎乙第六号証、但し(行ク)第三号事件)を被申請人につきつけ、「人事異動については、特定の職員団体とは話し合いをしないとの基本的な確認事項が守られているか」、「特定の職員団体との行政的取引はしないとの基本的方向にたつていると思うが、この点についてはどうか」などとの詰問をするにいたつた。

右にいう「基本的な確認事項」とか「基本的方向」が一体どこで右三者と被申請人間でとりかわされていたものか、藤本教育長もこの点についてあいまいな証言をしてぼかしているが、右が県教組との団体交渉を否定し、県教組の団結権保障を否認する方向での基本的確認であることは間違いない。

このような脅迫的な申入れに対して、被申請人は折角、三月一一日、一二日、一八日の団交で示した公務員労働者の労働基本権の労働保障への積極性を一度にひつこめてしまつて従来の旧態依然たる態度に逆戻りしてしまつたのである((行ク)第三号事件の疎乙第七号証「申入れ書に対する回答」の内容をみれば一目瞭然である)。その結果、被申請人は高知市教委、春野村教委、池川町教委の内申をそのまま鵜呑みにして、申請人ら三名を不当に郡外あるいは市外へ転出させるという不当労働行為を実行するにいたつたのである。

被申請人は、本件転任処分は地教委の内申に基づいて、それを尊重してそのとおり発令したものであるといつて責任を回避しようとしているが、藤本教育長の証言にも明らかなとおり、地教委の内申なるものも、何回となく被申請人及びその出先機関である教育事務所と地教委との協議、折衝の末、結論にあわせて地教委の最終的内申をかためさせているのであつて、本件転任処分が被申請人と地教委との合作であることは間違いない。

してみると前記一の(三)で述べた如き、極度に申請人の組合活動を嫌悪している地教委と県教組及びその支部(いずれも高知市及びその周辺支部である)の組織破壊をねらつている被申請人との意思が全く合致して、申請人及び県教組支部の団結権を侵害する目的で本件転任処分がなされたものであることは明白である。

従つて、本件処分は何ら教育効果の向上ないし教員の教育活動を助長する目的をもつたものでなく、ただに団結権を侵害するため裁量権を濫用して行つたものであるから憲法二八条、ILO八七号条約三条、ILO九八号条約二条一項の趣旨にてらしても違法である。

第三回復困難な損害を避けるため緊急の必要性の存在

一、はじめに

行政事件訴訟法は、訴えの提起は、行政庁の処分の執行を妨げないとするいわゆる執行不停止の原則を建前としていることは否定できないが、(二五条一項)このことは必然の理由によるのではなく、また行政処分に公定力のあることの当然の結果でもなく、むしろ立法政策上の問題にすぎない。(杉本良吉「行政事件訴訟法の解説(二)」法曹時報一五巻四号五〇九頁、今村成和「執行停止と仮処分」行政法講座第三巻三〇九頁、雄川一郎「行政争訟法」法律学全集第九巻一九七、八頁)現に西ドイツの行政裁判法のように、出訴があれば当然処分の執行は停止されることを原則とする例も存するのである。(同法八〇条一項)

二、行政事件訴訟特例法一〇条二項の「償うことのできない損害の要件とその解釈」行政事件訴訟法二五条二項の「回復困難な損害を避けるための緊急の必要があるとき」との規定は、行政事件訴訟特例法(以下「旧法」という。)一〇条二項の「償うことのできない損害を避けるため緊急の必要があると認めるとき」との規定を改めたものである。

旧法の「償うことのできない損害」の解釈としては「原状回復不能の損害のみを指すものではなく、金銭賠償不能の損害をも意味する」(昭二七・一〇・一五最高裁決定民集六巻九号八二七頁)とされ、後者についても、金銭賠償が抽象的に可能な場合でも、社会通念上金銭賠償によつて受忍することのできる損害であるかどうかによつて決定されなければならないと解されていた。(今村成和「行政処分の執行停止―行政事件訴訟特例法一〇条の判例法研究―」国家学会雑誌六七巻一、二号四八頁、雄川前掲書二〇二頁)

この点につき、昭和二六・四・二六青森地裁決定(行政例集二巻五号七四〇頁)は、次のように判示している。

「被申立人は法律にいわゆる「償うことのできない損害」とは金銭を以て補償することのできない損害の意だと抗争するけれども、凡そ財産権の内金銭で補償することができないものは絶えて存しないから今所論のような理屈を正しいとすれば法律が折角一定の条件の下に行政処分の執行を停止することができる旨定めた規定が適用される事案は一も存せず、折角違法な行政処分の執行によりもたらされる厄禍を未然に防止するため設けられた斯法の精神に背戻するに至るであろう。そこでここにいわゆる「金銭を以て補償することのできない損害」とは「社会常識上一般に通常人の通常の手段によつて到底回復至難の打撃」あるいは又「その回復は物理上必ずしも困難ではないが経済上、異常の犠牲を払わなければ回復又は補償することができない損害」を意味するものと観ずるを相当とする。」

もつとも金銭賠償不能の場合を文字通りせまく解する判例も一部には存したが、この考えのあやまつている点については、「国家賠償法の制定に依り、行政上の損害賠償請求権の確立した今日において、このような基準に依り執行停止の能否を決することは、実質的に、執行停止制度の適用を否定するにひとしく、およそ、制度の目的からかけ離れた結果を生ずることになる」(今村、前掲国家学会雑誌論文四七頁)との批判がなされていることを指摘しておけば十分であろう。

三、行政事件訴訟法二五条二項の「回復の困難な損害」の規定について

前述のとおり、行政事件訴訟法二五条二項は、旧法の「償うことのできない損害」との規定を、「回復の困難な損害」という規定に改めた(この点は、法制審議会の行政事件訴訟特例法改正要綱二五でも既にとられていた)。この趣旨は、旧法の解釈として、なかには、これを金銭賠償不能というように著しく厳格に解した事例も見受けられたが、このように制限的な態度をとることに理由はないので、表現の上でも緩和した規定に改めたもので、損害が、金銭賠償不能あるいは原状回復不能のもの、もしくは「著しい損害」でなくとも社会通念上それを破つたときはその回復は容易でないとみられる程度のものであれば足りるとする趣旨である(今村前掲行政法講座論文三一〇頁以下、杉本前掲論文五一〇頁以下)。

四、申請人らは本件転勤処分により回復困難な損害を蒙むつており、これを避けるための緊急の必要性が存する。

申請人らは、それぞれ所属の郡市教組の役員の地位にありながら、本件転勤処分によつて、役員としての活動を殆ど全面的に剥奪されている。その阻害の事情は第二以下記載のとおりであり、また、地公法五六条の不利益には、たんに職員の個人的な経済的、精神的不利益のみでなく、職員団体の役員としての活動及び職員団体はそのものの不利益をも含むものであることは、昭和四四年六月一四日付準備書面第一記載のとおりであり、団結権侵害が執行停止の理由となることについても同様であるので、その点の主張は援用するに止める。

五、本件処分の執行停止は公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれはない。

執行停止は公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるときはすることができないとされていることをとらえて、被申請人は、本件執行停止により教育上重大な障害を受け、公共の福祉に反すると主張するが、「行政処分と公共の福祉は、もともと不可分の関係にあるもので、公共の福祉を目的としない行政処分の如きは自殺観念であるが、しかもなお、それが法に基づいたものでなければならぬとする所に、法治主義の核心がある。従つて、違法処分の執行をゆるすということは、処分そのものの公益性の故ではなく、執行を停止することに、重大な反公益性の認められる場合でなければならぬ。」(今村前掲国家論文五五頁)のである。したがつて、執行停止が公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれのあるときとは、当該行政処分によつて生ずる個人の権利の侵害のおそれと、執行を停止することによつて生ずる行政の停廃等の公益の阻害との、両者の具体的な比較考量の問題として考えるのが正当であつて、その場合単に公共の福祉に影響があるという程度では不十分であつて、個人に回復困難な損害を生じてもやむをえない程に重大なものでなければならない(雄川前掲書二〇四頁以下、今村前掲行政法講座論文三一一頁、杉本前掲論文五一一頁)。この点では、最高裁が、近時、公務員の労働基本権について、抽象的な公共の福祉を理由とする制限の態度を変更して、国民生活に重大な障害をもたらすおそれがあるか否かという観点から具体的に厳密に比較考量してゆく態度を示したことが参照せられるべきである(昭和四一年一〇月二六日全逓中郵事件、昭和四四年四月二日大法廷判決、都教組判決)。

被申請人の主張する執行停止による申請人らに関する転勤処分の原状回復によつて生ずる阻害は、極めて誇大に主張するもので、長期病欠者、年度途中の退職者等々の生じた場合、常にその時々に応急の措置がとられ、教育上重大な支障を生じたことは、全国いずれの都道府県においてもなかつたことである。被申請人の主張する全県的な手直などは、常識的にありえず、また被申請人自身執行停止がなされても、そのような挙には出ないであろう。それ程三名程度の異動によつて全県的に教育に混乱が生ず等現実には絶対にありえない。

まして、団結権侵害により事実上、郡市の組合活動に阻害を生じている本件転勤処分の執行を停止することこそ、憲法二八条の趣旨に合致し、公共の福祉を保持する所以であろう。

別紙一の(四)

本件執行停止の緊急性・必要性についての補充

一、本件転任命令の執行停止の緊急性、必要性についてはすでに申請人準備書面で明確にしているところであるが、さらにこれを若干補述したい。

二、労働組合が、組合員の権利と生活を擁護するためには、日常不断にその諸活動を推進してゆかねばならないことは今さらいうまでもない。

労働組合が、組合員の諸要求をとりあげ、その目的達成の為に必要な、広汎な諸活動を日常不断に準備し推進してこそ、憲法が労働者に保障する団結権、その他の権利にも真に生命が吹きこまれ、労働者の権利は実現され、団結もまた深まり強まるのであるる。

とりわけ、教員組合の諸活動は、教師としての高い社会的身分保障、勤務条件の向上(教育基本法が示すところである)をめざしつつ、同時に、教育問題そのものについても、民主教育擁護のための諸活動をも展開する必要があるため、その日常活動は広汎かつ多面的なものであることは、日教組、高知県教組等の今日までの諸活動を一見しただけでも明白であろう。

ところで、組合のこの日常諸活動を支え、その中軸となる不可欠のものは、機関活動、とりわけ、執行機関の日常的諸活動であることは言うまでもない。

この機関活動が、日常的に十分確立保障されてこそ、組合活動は前進せしめられるのであり、憲法でいう団結権の保障理念も実現されることとなる。

そして、この機関活動のかなめとなり、その推進の不可欠の支えとなるものが、組合長であり、書記長なのであつて、従つて、組合長や書記長たる者が、組合においてもつ義務と責任は極めて重大であることは多言を要しない。

勿論、労働組合活動はその民主的組織運営から、議決機関と執行部とを中心とする組織的集団的運営、集団的指導がなされるのであるが、組合長、書記長の地位と任務は、その組織的集団的民主的運営の最高の中枢的地位にあるものとして、労働組合の日常的諸活動のかなめをなすものである。

三、さればこそ、組合長や書記長というような地位にある者に対しては、使用者たる者はできる限りその日常的組合活動を不当に侵害抑圧することのないよう万全の配慮をなすべきが当然であつて、このことは憲法が団結権を保障している理念からみて当然の労使関係上の原則であるというべく、不当労働行為が厳しく禁止される所以である。

人事権の行使について、使用者たる立場にある当局(任命権者)が裁量権をもつといつても、それは、不当な団結権侵害を惹起してはならないこと明白であつて、明らかに組合の中枢機関に対し日常活動上著しい支障を生じせしめるような人事権の行使は、憲法の労働基本権保障の理念に照らしても地公法が教職員組合の団結権を容認していることに照らしても、また、労使関係上の信義則に照らしても許されないところである。

ましてや、前述の如く、組合長や書記長という組合の日常活動の指導的中枢の地位にあるものを、市外又は郡外に配転するなどのことは、当該労働組合の日常活動、機関活動の機能をそこなうものであり、同時に、当該労働者の組合長、書記長たる地位にある者の、組合長又は書記長としての諸活動の権利と利益を奪うものであることは、一見明白なところである。

日常的に執行機関の会議にこれらの地位にある者が出席し指導することができないという事実は、全体の団結活動を阻害するだけでなく、同時に、その地位にある者自身の行なうべき組合活動の権利を抑圧し侵害するものであることは言うまでもない。

組合長や書記長に対する本件転出の配転は、原則的には、これらの者の組合員資格さえ奪うこととなるものであることは、規約上明白なところであることにてらしてみても、かかる配転が、最も明白な典型的な不当労働行為であることは多言を要しない。

本件の如き、組合長、書記長に対する転任処分が違法な不当労働行為―団結権侵害の行為でないとするならば、もはや不当労働行為なる転任処分は他に一切存在する余地はないといわねばならない。

当該職員が組合員であるかないか、役員であるかないかは一切転任処分について考慮しないという被申請人の主張は、そのこと自体、本件の不当労働行為性を表明するものである。

何故なら、当該職員が組合活動家であり、役員である限り、たとえ転任を命ずる必要があるとしても、その組合活動に著しい支障が生じないよう万全の配慮をなすべきが、団結権保障の理念と不当労働行為禁止の労働法上の原則にそくしての当然の措置なのであつてかかる労働関係上の憲法原理を一切考慮しないで、組合活動上、いかなる重大な支障が生じようともなんらこれをかえりみないということこそ、不当労働行為を公然と容認してはばからないということにほかならないのである。

組合が毎年組合役員名簿を被申請人や地教委に対して提出して来たという慣行は、こうした不当労働行為が生ずることをさけるためのものであつたことはいうまでもない。

しかも、こうした当然の建前を一切否定する被申請人の空虚な形式的主張は、真の不当労働行為企図を隠ぺいするための口実にすぎない。

そのことは、組合長や書記長を市外へ転出せしめるという、かつて例をみない、甚だしい組合活動抑圧の人事が敢てとられたのが、高知県教組の中心的中核的組合たる市教組に対して加えられたこと、そしてさらに、かねてから、組合の団結の保持に多大の苦労を強いられて来た吾川郡教組に対して加えられて来た事実をみても明白である。

この点は、奥田、寺尾等の証言によつて本件配転が出されて来た経過とそのねらいが十分に解明されている。

人事権の行使、とくに転任処分は、使用者なる当局の「自由裁量」の名のもとに行なわれる不当労働行為―団結権侵害の有力な手段となつている事実を想起する必要があろう。

四、ところで、不当違法な本件転任処分により、申請人らが日常的にいかに組合活動上の権利と利益を奪われ、同時に、組合としての団結活動上重大な支障を受けているかという事実は、申請人の尋問経果は勿論、津野、門脇、奥田、寺尾等の証言その他の書証によつて極めて明白なところである。

被申請人側の渡辺教育次長すら、申請人代理人の反対尋問において、本件配転により組合がその業務遂行上重大な支障がある事実を認める趣旨の証言をなし、又組合との交渉においてもこれを認めている事実にてらしてみただけでも右の点は疑う余地はない。

また、吾川郡教組が代理執行部をおくとともに、県教組が寺尾執行委員を特に配置せざるを得なかつたこと自体が、本件配転による組合活動上の支障がいかに耐え難い重大なものであるかを明瞭に物語るものである。

一方、市教組の場合も、奥田書記長や他の執行委員らの努力によつて、かろうじて組合活動の前進と遂行を維持しているものの、組合長との連絡、協議、組合活動の企画立案指導遂行上、著しい不便と支障を克服しなければならず、組合長が配転され郡部にいるため日常的に不在であることによる組合員の不安など組合全体の団結上重大な支障があることはいうまでもない。

とりわけ、四月当初、まさに本件処分時において新しい年度の職場体制の確立、組合員の要求や不満の処理、救援業務の整備、組合集会や一連の組織活動、団体活動の遂行等にいかに著しい支障を生じたかは、寺尾、奥田の証言、報告書の記載によつて極めて具体的に明らかにされている。

これらの組合活動に対して惹起せしめられた重大な支障をみても、本件配転処分の不当労働行為性は明白であり、転任処分の名のもとに断じて許容さるべきものではない。

五、本件の如き一見明白な不当労働行為の違法な転任処分によつても、高知県教組も、市教組も、吾川郡教組も、現にその活動を継続している。

労働組合は、使用者のいかなる不当な権利攻撃に対しても、その団結をまもつて闘う活動を、困難を克服しつつ遂行するからである。組合活動を壊滅せられてしまうのでなければ使用者が加えた不当労働行為を実証できないなどと考えることはおよそ暴論も甚だしいであろう。

すなわち、市教組も吾川郡教組も、組合員全体の団結の力と多くの活動家の努力によつて、本件転任処分によつて惹起された著しい障害を克服し耐えつつあるのである。

本件転任処分によつて申請人らが現在も依然として引続き組合長や書記長という重責ある組合活動を日常的に遂行することを妨げられている事実は疑う余地なく明白であるし、そのため、組合が組合全体としても、日常活動上、多大の支障を現に蒙りつつある事実も明白である。

かかる組合活動上の重大な支障は、申請人にとつても、本件転任処分が取消されない限り、現に毎日引続き惹起せしめられているのである。

組合長が職務を行なえない場合、副組合長が規約代行することになつているからよいではないかというような被申請人の見解ほど、労働組合運動を知らぬ皮相なものはない。そのような暴論を臆面もなく敢てなすというような無理解があればこそ、本件の如き不当極まる転任処分をよくなし得たのであろう。

組合長や書記長の地位は多数の組合員の推挙と信頼によつて定められるものであり、組合員全体の意思に反して代替性がないものである。それは組合の団結の中心であり、かなめとなるものであり、その責任と機能の重大性は他に簡単に代置されうるものではない。

すでに述べたように、労働組合の日常不断の活動は、憲法の団結権保障の具体的生命であり、次々におこる諸問題を有効、迅速、適切に処理して組合員の権利と生活をまもる諸活動を企画、立案、討議、推進してこそ、組合の使命と目的は達成される。そして、その日常組合活動を支え、団結の中心をなすものこそ、組合の組織的機関活動であり、組合長、書記長はその中軸となるものであることをかえりみるならば、本件転任処分によつて、申請人と組合が現に蒙りつつある権利侵害と重大な支障を速かに除去すべき緊急の必要性のあることはもはや多言を要するまでもなく明白であるといわねばならない。

こうした日常活動の不断の遂行の必要性の存在する上、さらに加えて、来年ともなれば、国民的課題なる七〇年問題の闘いの高まりを迎えるし、年度当初の予算編成期にあわせての教育予算をめぐる諸闘争や役員選出のための組合内の諸活動を遂行してゆく大きな具体的活動の必要に迫られ、組合長、書記長を中心とする活動の一層の強化が焦眉の急となることが必定である。

こうして、以上述べたとおり、不当違法な本件転任処分の効力を停止すべき緊急性、必要性がますます明白重大となつていることは疑いない。

かかる事態を正しく認識され団結権保障の民主的憲法理念に立脚して、当裁判所が速やかに本件各転任命令の効力の執行停止決定をなされることを求める次第である。

別紙二の(一)

申請の趣旨に対する答弁

本件申請を却下する。

申請費用は申請人の負担とする。

との裁判を求める。

申請の理由に対する答弁

一、申請の理由第一項の事実は認める。

二、同第二項の事実は認めるも、本件転任処分が違法であるとの主張は争う。処分は適法になされたもので申請人の主張するような違法はない。

三、同第三項の違法性の主張は争う。

1、同項(一)本文の申請人が職員団体である高知県教職員組合(以下「県教組」と略称する。)に所属している事実は認め、被申請人が右組合の運営に対し支配介入しようとしたとの事実を否認し、申請人主張の各法令に違反し、教育公務員の団結権を侵害したとの主張を争う。

2、同項(一)の1の事実のうちその前段を認め、その余は不知。

3、同項(一)の2の(1)の事実のうち申請人が過去数年間及び昭和四四年度高知市教組の組合長である事実を認め、その余は不知。

4、同(一)の2の(2)の事実中、昭和四四年三月一八日頃県教組が被申請人職員に「申入書」と題する書面を差出したこと及び申請人を仁淀中学校に転任させた事実を認め、その余は否認。

5、同項(一)の2の(3)の事実のうち、昭和四三年三月末の異動で高知市から二九六名の教員を転出させたことを否認し、昭和四四年三月末の異動で同市内の教員一二九名を転出させたことを認め、その余は不知、特に右異動により市教組の破壊をこころみ、その運営任務遂行を困難ならしめ、その団結権を侵害したとの事実は否認。

6、同項(一)の3の事実のうち、過去七年間組合長の職にあつた申請人でなければ任務の遂行ができないこと、及び申請人の市外転出により諸活動が停滞し、市教組の運営が重大な困難に逢着しているとの事実を否認し、その余の事実は不知。

7、同項(一)の4の(1)の被申請人において職務命令に違反し正常な学校運営を阻害した教職員につき、主張のような処分をした事実を認め、その余は否認。

8、同項(一)の4の(2)の事実中、被申請人が県教組の組合活動を敵視し、定期人事異動を同活動家に対する報復的手段に利用したこと並びに組合員であるとの理由によつて別居を強いる転任異動等をなし、組合員団結権を侵害したとの各事実はいずれも否認し、主張の日に被申請人と県教組との間に和解がなされたこと、主張の年度間に相当数の審査請求及び取下げのあつたことを認め、その余の事実は不知。

9、同項(一)の4の(3)の事実中、県教組が被申請人に対し、団体交渉を申入れたこと、被申請人が人事異動は管理運営事項に属し、交渉事項ではないとしてこれに対する交渉に応じなかつたことを認め、申請人主張の日本教職員組合と自治省との交渉は不知、その余は否認。特に自治省行政局長等の人事異動に対する見解は被申請人のそれと同一であつて、「人事異動に伴う通勤住宅等に関する問題は勤務条件として交渉事項に入るが、人事異動そのものは交渉事項ではなく管理運営事項であつて、職員団体との交渉の対象とはならない」というものである。従つて被申請人の渡辺次長が自治省見解として同意見を述べたのは右の趣旨によるものであつて、申請人は右自治省見解を曲解するものである。

10、同項(一)の4の(4)の事実のうち、吾川郡教組の組合長、書記長を郡外に転出させたこと、四月三日高知県総評の幹部と称する者が藤本教育長に話合いを求めてきた事実を認め、その余の事実は否認。特に高知市教育委員会等が組合役員を転出させる旨内申し、被申請人とあつれきを生じたとの事実は全く事実に反する。

11、同項(一)の5の事実中、申請人主張の最高裁判決及びILO各条約の各条項の存在することは認め、その余の主張は争う。

12、同項(二)の本文の主張は争う。被申請人は申請人に対し、組合役員の故をもつて特に不利益取扱をした事実なく従つて本件転任処分には何等の瑕疵なく有効たるを失なわない。

13、同項(二)の1の事実中、昭和二二年四月申請人が高知市公立学校教諭に赴任してきたこと及びハの過去数年間組合長の役職にあつたことを認め、その余は不知。

14、同項(二)の2の事実のうち、昭和四三年に高知市教委が高知市立学校管理規則を改正したこと、右委員会の堀川委員長がもと県教組の執行委員であつたことを認め、その余は否認、右規則は地方教育行政の組織及び運営に関する法律第三三条に基き制定されるもので管理運営の基本的事項に関するものであるから職員団体との交渉によつて定めるべきものではない。

15、同項(二)の3の(1)の事実のうち、申請人主張の裁判例にその主張の要旨があることは認めるも、その余の主張は不知。特に本件処分が組合役員としての申請人にその活動上不利益を与えること、及び地方公務員法第五六条の「不利益取扱」を労組法第七条一項と同意義に解すべきこととの主張は争う。

16、同項(二)の3の(1)の申請人の妻が高知市立秦小学校教諭であつたところ、同時に吾川郡吾川村立名野川小学校へ転任したこと及び申請人等夫婦にその主張の学年の二子があることを認め、その余の主張は否認。

四、同第四項の申請人主張の不服申立事件が相当数高知県人事委員会へ提訴されている事実は認め、(なお、正確な件数は調査の上答弁する。)裁決を経ないで訴を提起するについて行政事件訴訟法第八条第二項第三号の正当な理由ある場合に当るとの主張は争う。

五、同第五項1及び2の事実中、夫婦が新任校へ赴任せざるを得ないことは認め、その余の主張はすべて否認する。

被申請人の主張

一、本件申請は、行政事件訴訟法第二五条第三項後段の「本案について理由がないとみえるとき」に該当し、従つて、本件申請は却下さるべきである。

1、人事異動の基本方針

被申請人は、毎年四月一日付をもつて、教職員の定期異動を行つてきたものであるが、その目的は県下教育界に清新な気運を構成し、各学校の教職員組織の刷新充実を図るため教職員の適正な配置を行いもつて教育効果の向上を期しようとするものである。しかしてこの目的を実現するため各々の年度の人事異動方針を策定してこれを公表し、右の基本方針に則り人事異動を行つてきたものである。

2、従来の人事異動の効果について

被申請人の人事異動の対象となるべき小、中学校教員の総数は約六、二〇〇名であるが、本県の地理的特徴として所謂へき地校勤務の教員の定数は総数の約三分の一に当る約一七〇〇名にも上るところから被申請人としては、従来からも、郡市交流を異動方針の重要事項として採り上げ、へき地平坦地の教育水準の均等化を図り、もつて教育効果の向上を期してきたのであるが、特に昭和三九年四月一日付異動以後、異動方針の中に「へき地三年、平坦地七年以上勤務したものは、原則として人事異動の対象とする。」との基準を設け、極力その実現に努力してきたが、教職員の多数が高知市内校の勤務を希望し、転出を望まないこと、異動に際しては、各地方教育委員会の内申権を尊重せざるを得ないこと等の事情があつて、右基準に基く異動が必ずしも充分に実施されず人事異動の硬直状態を生じていた。

3、昭和四三年及び昭和四四年各四月一日付異動について

被申請人は、前記の人事異動の硬直状態を改善打開するため、各地方教育委員会との密接な連絡を計り昭和四三年四月一日付異動より特に積極的に郡市の交流を図る方針をとり、同年度においては従来に比し可成の実績をあげ得たのであるが、右の効果を更に推進するため、昭和四四年四月一日付の人事異動においても、右の方針を確認し、その具体的要領として、

イ 小、中学校教員にあつては、へき地三年平坦地七年以上勤務したものは、原則として人事異動の対象とする。

ロ へき地校の教職員構成の改善につとめる。

ハ 本人の希望は、教育効果の向上を第一義として、その範囲内で考慮する。

との方針を定め慎重な配慮のもとに、最善の努力を払い、適正妥当な人事異動を行つた。

4、昭和四四年四月一日付異動の郡市交流の具体的状況について

右の具体的要領に基く本年四月一日付異動の状況は左のとおりである。

即ち、へき地から平坦地へ転勤したのは、小学校で一七三名、中学校で一〇一名、合計二七四名、平坦地からへき地へ転勤したもの、小学校で一五七名、中学校で七九名、合計二三六名である。

又これを郡市交流の点から見ると、高知市から市外県下各地へ転任したもの小中学校計一二九名(内訳―安芸九名、香美六名、土長五三名、吾川四七名、高岡九名、幡多五名)となつている。

なお、申請人の如く昭和四四年三月末に年令四五才ないし四九才で、高知市内中学校の平坦地に七年以上勤務し、前記具体的要領の異動の対象となるものは、教頭一名、男子教諭七名、女子教諭一名計九名あつたが、同年度異動により申請人も含めて八名がその異動の対象となり、中央教育事務所管内(高知市及びその周辺の町村を含む。)で僅かに一名を除きその余の全員が前記要領に基づき転任することとなつた。

5、高知県教組およびその下部組織について

本県における地方公務員たる教職員の団体のうち、地方公務員法第五五条第一項により被申請人と交渉しうる職員団体として、県教組があり、各市町村教育委員会と交渉しうる職員団体としては、その旨を登録した各市町村単位の教職員組合がある。(地方公務員法第五二条以下教育公務員特例法第二一条の四)

ところで、申請人が組合長の地位にあつたと称する高知市教員組合は、その規約によると、高知市内の官立小中学校の教職員を組合員と認めており、事実、学校種別専門部として官立学校であつて高知市教育委員会の服務監督権の及ばない付属学校部なる部会を設けその教職員が組合員としてこれに参加しているから前記各法律によつて高知市教育委員会に対する交渉団体としての資格を登録しうる職員団体に該当しないこと明白であつて、又事実高知市公平委員会に対し登録した事実もない。

申請人は、高知市教員組合は単位組合であつて、高知市教育委員会に対する交渉団体であるかの如く主張するが右の主張が全く事実に反することは争う余地がない。なお又申請人は、高知市教組の外六個の各郡教組をもつて県教組の支部であつて、各市町村教職員組合(単位組合)を統轄する独立の職員団体であるかの如く主張するが、前記法条に照らし、かかる郡教組なるものが交渉すべき対象となる地方公共団体の存在しないこと明白であり、しかも、県教組の規約によつても、各郡教組及び高知市教組が県教組の支部でないことは明らかである。

6、組合役員を異動の対象とすることが団結権の侵害及び不利益取扱となるか否かについて

申請人は、高知市教組の組合長の地位にあるからこれを組合の地域外に転勤させることは、その事自体が組合に対する団結権の侵害に該当し且つ申請人に対する不利益取扱に当ると主張する。

然し乍ら、右の如き主張は申請人独自の見解に過ぎず、何ら人を首肯させる主張とは云い難い。

たとえ、組合役員といえ、いやしくも地方公務員たる地位にある以上、全体の奉仕者として地公法第三二条第三五条等により被申請人の命に基き転任の処分のあり得ることは当然であつて、特段の事情のない以上、右転任処分をもつて直ちに団結権の侵害等の主張が許されないことは云うまでもない。

7、被申請人は従来組合役員又は組合員について転任処分に際しこれを考慮した事実はなく、他の教職員と平等な取扱をしている。

申請人は、被申請人が毎年度転任処分に際し組合の壊滅を計る意図のもとにこれを濫用し特に郡市交流の名のもとに高知市教組に対し弾圧を加えた旨主張するがかゝる事実は全くない。被申請人は従来から県教組の申入に対しても、常に組合の役員又は組合員である故をもつて特別に考慮した事実なく、他の教職員と全く平等な取扱をしてきたものであつて、その旨を終始主張して来たものであり、申請人の主張は全くの理由なき言いがかりに過ぎない。

仮りに、申請人の主張する如く、組合役員に対しては、一切の転勤処分を差控え、これがため他の教職員に比べて特にこれを別個に取扱い優遇する結果となるときは、かえつて不当な便宜供与及び干渉の疑いを生じ、ILO八七号条約第三条第二項の趣旨にもとるものと言わなければならない。

8 本件転任処分は、全く合理的な理由に基づくものであつて、申請人主張の如き組合の団結権を侵害し、同人を正当な組合活動をしたことの故をもつて、特に不利益に取扱つたことを疑わせるが如き事情は全く認められない。

(イ) 申請人の経歴

申請人は、昭和一八年九月三〇日、安芸郡赤野村立国民学校訓導を命ぜられ、その後一時兵役に服し、昭和二二年四月一日付の異動により高知市旭中学校教諭に補せられ、爾来、今日迄二二年の長きに亘つて、高知市内各中学校教諭を歴任し、その間一度も高知市内から他の地区に転任した事実なく、いわんや、へき地校に勤務した事実は一度もなかつたものである。従つて、右の経歴から見ても、前記の異動の基本方針及び具体的要領に照らしても、当然異動の対象となるべきものである。

(ロ) 然るに前記のとおり申請人は(年令四五才ないし四九才)硬直打開基準に該当し、且つへき地三年、平坦地七年の原則の適用をうける高知市内中学校勤務のものが昭和四四年三月末において九名となつていた。

そこで郡市交流を積極的に行うとの前記の方針により右の九名は今年度の異動において当然その対象としてとりあげられたのであつて、結果的に右のうち申請人を含めた八名という殆んど全員に近いものが転勤することとなつた。(なお転任するに至らなかつた一名のみ従来へき地校勤務の実績があつた。)

(ハ) なお本年の定期異動に対する申請人の希望は留任又は自宅からの通勤可能地への転任となつていた模様であるが、これにつき高知市教委は転任の内申をなしたので、被申請人は右内申に基づき適当な転任校を検討したところ、新任校である仁淀中学校において、申請人と免許課目(数学・社会)を同じくし、当時数学を担当していた秋沢精一教諭が退職することになつたので、その後任として申請人を転任させるのが適当であるとの判断のもとに本件転任処分を行つたものである。新任校は、高知市から六一キロメートルの距離があり自宅からの通勤可能地への転任との申請人の希望には十分副い得なかつたものであるが、前記のとおりの長年に亘る市内校勤務の経歴から、同じ市内校に異動させることは、郡市交流の方針から困難な事情にあり、又学校の教員の構成、教科課目等の点より通勤可能地の範囲内に適当な転任校を求めることができなかつたため、本件転任処分をとらざるを得なかつたものである。

(ニ) 以上申請人の本件転任処分の諸般の事情を綜合すると右処分が十分合理的な理由を有し、極めて公平且つ妥当に実施されたものであることは、何人も十分首肯しうるところであつて、申請人の組合の団結権に対する侵害又は不利益取扱の主張が全く理由なき言いがかりに過ぎないことは明白である。

凡そ、申請人は地方公務員たる県費負担教職員の身分を有し公の教職に従事するものであるから、被申請人の裁量に基づき高知県内のいずれかの市町村に転任を命ぜられることがあることは、その地位に伴つて当然に予想されるべきであり、申請人の主張する如く仮りに組合の重要な役員の職にあるからと言つてこれが為例外の取扱を受くべき理由はない。

申請人は、本件転任処分をもつて、ILO九八号条約第二条第一項、及びILO八七号条約第三条に抵触し、憲法第二八条及び地方公務員法第五六条に違反すると主張するが、前記のとおり十分合理的な理由に基づきなされた本件転任処分が右各法条に違反しないことは毫も疑う余地がない。

なお、又申請人は浦和地裁熊谷支部判決を引用し、地公法第五六条をもつて、労組法第七条一号と全く同意義に解すべきであると主張するが、全体の奉仕者たる公務員については地公法第三条及び第三五条の規定を尊重すべき義務を負うものであり、たとえ組合役員の地位にある場合と雖も、右の義務を免れる訳ではないから、一般の労働者に適用される労組法の場合と同一に解し得ないことは言う迄もなく、仮りに百歩をゆずつてこれを同意義に解し、且つ、右判例の判決理由が公務員の場合にも妥当するとしても、右判例の事実は前記のとおり合理的な理由に基づくことは明らかな本件転任処分とは全く事情を異にするから、本件転任処分に妥当するものとは言い難い。

(ホ) 申請人の子弟との別居の主張について

申請人主張のとおり、今回の異動によりその妻である申請外細川香代子(三九才)も同時に高知市秦小学校から名野川小学校に転任することとなつたが、同人は今日迄昭和二五年四月行川小学校教諭に任命されて以来一九年間高知市内各小学校に勤務し、一度も高知市外又はへき地等に転任したこともなかつたので、今回郡市交流の対象として、初めて名野川小学校に転任したものであり、特に名野川小学校の教員宿舎に申請人と共に入居するときは、申請人が右の住所より仁淀中学校に通勤しうること、従つて夫婦別居を生じる虞れのないこと等も十分配慮してなされたものである。(事実申請人の妻は既に右住居に入居している。)

申請人は、住所の移動により二子と別居せざるを得ない為経済上生活上甚だしい不利益をうける旨主張するがたとえ右の二子が上級校へ進学直前であるからといつて子供等を高知市内校に残留させなければならない絶対的な理由はなく、かかる主張は高知市内校優越の誤つた心理にとらわれた子供に対する盲目的愛情の表現に過ぎず、教育の機会均等と民主教育を実現すべき教員として理解に苦しむところであつて、何ら採りあげるに足らない問題である。

二、本件転任処分により、申請人の主張する如き回復困難な損害を生じ、且つこれを避けるため右処分の効力の停止を求めなければならない緊急の必要性は全く認められない。

1、申請人の回復困難な損害について

仮りに申請人がその主張のとおり本件転任処分により高知市教組の組合長の地位を失ないその職責を果しえない結果を生ずるとしても、本件処分が違法であるとして取消されるときはその精神的苦通に対し当然慰藉料請求等の救済手段をとりうるのは当然であり、しかも、前記のとおり本案について理由がないとみえるときに当ることが十分にうかがわれる本件転任処分においては、組合長としての職責を果し得ないこと自体は、未だもつて執行停止によつて、これを救済するを要する損害とは言い難く、いずれにしても申請人の主張は理由がない。

2、高知市教員組合が受ける損害について

本件転任処分により申請人が高知市教組の組合長の地位を失なう時は、同教組の運営は著しく阻害され、予定された大会運営等も実行不可能になるという。

然し乍ら、仮りに申請人の主張の如くであるとしても、右の如き高知市教組の損害は、申請人個人の損害とは全く別個の事情であつて、本来申請人個人の損害の救済を目的とする執行停止の制度において、考慮すべき事柄でないことは、制度の趣旨から言つて明らかである。(これについては多数の判例がある。)

仮りに右の如き損害も、執行停止の理由となりうるとしても、高知市教組の規約によれば副組合長二名、書記長一名、その他多数の役員を選任することとなつており、事実又右の役員等は申請人の主張によつても既に全員選任されており、又組合長に事故あるときは副組合長がその代理をすることとなつているから、これによつて組合長の職務は十分まかないうるのみならず、しかも本来組合の業務の執行は組合役員をもつて構成される執行委員会の合議制によつて行なわれることとなつているから、組合長を欠くからといつてすべての業務の執行が全く停止する如き事態は常識上到底考えられないものであり、申請人の主張が根拠なき全くの誇張に過ぎないことは言う迄もない。

なお又、五月の大会が迫つていてその運動方針の作成及び当日の運営が実行不可能である旨主張するが、その趣旨から推察すると全く予想されなかつた突発的な行事ではなく、毎年開催される年中行事としての予定された大会であり、しかも、執行委員会を構成する各役員はいずれも一般の県民に比べれば高度の知識と豊富な経験を有するインテリである教員が就任しているのであるから、たとえ長年組合長の職にあつた申請人を欠くに至つたからといつて、これが為大会の開催が実行不可能になるが如き主張は、到底人をして首肯せしめる主張とは言い難く、全く理解に苦しむものと言わざるを得ない。

三、本件転任処分の効力が停止されるときは、左のとおり高知県下の教育界に計り知れない混乱を生じ公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれが十分に認められる。

1、昭和四四年四月一日付人事異動により高知県下小中学校教員総数約六、二〇〇名中、二、一六五名の人事異動が行なわれ、被申請人は、前記のとおりその異動に当つては、対象となつた各該当者の個人的事情も十分考慮のうえできうる限り各人に不満のないよう慎重に配慮したが、何分異動人員が多数に上るところから全員を完全に満足させる異動を行うことは極めて困難であり、本件転任処分の効力停止が認められるときは、たとえ本件とは事情を異にするとは言え、異動について不満を有する他の教職員に対する影響も少なくないものがあり、これが為今後の教育行政に関し、重大な支障を生じることが予想される。

2、なお又執行停止の結果、新任校において一名の欠員を生じ、旧任校においてかえつて一名の剰員を生ずることとなり、その事自体双方の学校の教育活動及び人事行政の運営に計り知れない支障を生じ、更に各校の生徒及びその父兄に無用の不安動揺を与える結果となり、教育効果の向上を期待することは全く不可能となる。

3、更に、欠員を生じた新任校に、一名の教員を補充するとしても県下全域の定期異動を実施した直後のこととて、申請人の如く長年の教育経験豊富な適格者を求め難く、強いてこれを申請人に匹敵する教員をもつて補充しようとすれば、再び相当広範囲な人事異動を手直しせざるを得ないこととなり到底実行は困難であるから結局臨時の教員をもつてこれを穴埋めせざるを得ないことが予想され、新任校の生徒の教育効果の向上は到底望み難く、かえつて悪影響を及ぼすであろうと心配される次第であつて、いずれにしても、これが為当該各学校の立場は勿論高知県下の教育行政全般に計り知れない悪影響を生ぜしめ、将来に回復し難い禍根を残す結果となることは明らかである。

右の結果は公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれが十分に認められる場合に当るものというべく、高知県下の教育行政に対し責任を有する被申請人として到底甘受し得ないところである。

以上いずれの点よりするも本件申立は理由がないこと一点の疑う余地はない。

よつてすみやかに本件申請を却下されるよう裁判を求める次第である。

別紙二の(二)

第一、本件申請は本案について理由がない。

一、本件申請人の主張の要旨は、「本件申請人は市教組の役員であつたにかかわらず、被申請人が同人の労働組合役員たる地位に特別の顧慮をせず人事異動を行つたことは不当労働行為の意思を表明するものであり、組合の同意を得ずして人事異動したことが不当労働行為である。従つて、不当労働行為たる本件転任処分は取消されるべきである」ということに帰結する。

二、しかし、被申請人は、県費負担教職員の任免その他の人事に関する事項を管理執行すべき職務権限(地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下「地教行法」という。)第二三条、三七条、四〇条)にもとづき、客観的な実施基準に従い、その裁量の範囲内において適法に本件転任処分をなしたものである(証人藤本孟、同渡辺勉の証言)。

そもそも教職員に対する人事異動権は地方教育行政の根幹をなすもので、国民全体に対し直接責任を負つて行われるべきものであり、一労働団体の支配下に委ねられることは教育基本法の理念に照らしても到底許されるべきところではない。

又申請人らが引用するILO九八号条約第二条一項は相互不介入の原則を明記しており、さらに同条第二項は労働者団体に利益援助禁止を明言しておるところ、申請人の主張はいわゆる被申請人の管理運営である(地方公務員法(以下「地公法」というう。)五五条三項、地教行法二三条参照)が明白な人事異動権に労働者団体が干渉できなかつたことを理由に不当労働行為と非難するものであることはその主張自体においても明白であろう。

のみならず、申請人の主張は労働団体に対する利益援助をしなかつたことが不当労働行為というに等しい。

なぜならば、もし公務員が公務員たる職務に専念せずして、もつぱら職員団体の業務に専念せんとするときは、公務員たる地位を退き(地公法第五五条の二、第一項、第三五条)、労働団体の自主独立性において、団体の業務専念者の経費負担をすべきことは、労働法の理念から自明の理であるところ、申請人はかかる公務員の職務専念義務を放棄し、公務員としての給与を受けつつ職員団体の業務に専念できないことをもつて、かかる利益を与えないことが不当労働行為であると強調することに帰着するからである。現行法上到底容認できるところではない。

要するに、公務員が全体の奉任者であることを看過し、前叙の現行法秩序を否認した論理を前提としない限り到底肯認しがたい申請人の主張は、本案について明らかに理由がないとみえるときに該当し、本件申請は即時却下をされるべきものである。

第二、公務員の労働基本権に関する最高裁判決について。

申請人は公務員も実質的には民間労働者となんら異ることのない社会的立場にあつて、労働者としてひとしく憲法二八条の労働基本権の保障を受けるものであり、四四年四月二日最高裁判決により明白に示されたと主張し、田村講師の報告書を疎明資料として引用するので、一言する。

右最高裁判決は「国家公務員や地方公務員も、憲法二八条にいう勤労者にほかならない以上、原則的には、その保障を受けるべきものと解される」との判示につづき、「公務員に対して右の労働基本権をすべて否定するようなことが許されないことは当然であるが、公務員の労働基本権については、公務員の職務の性質、内容に応じて、私企業における労働者と異なる制約を受けることのあるべきことも、また、否定することができない。たゞ公務員の職務には、多かれ少なかれ、直接または間接に公共性が認められるとすれば、その見地から、公務員の労働基本権についても、その職務の公共性に対応する何らかの制約を当然の内在的制約として内包しているものと解釈しなければならない」旨を判示しているのであつて、申請人あるいは前記田村講師は、最高裁判決も認めている公務員の本質に起因する私企業の労働者と異なる制約の存する性質には一願だにせず、結局においては公務員を労働者としての一面においてのみ論理を展開しているもので、全く判例を曲解した独自の見解という他はない。

教育公務員の本質に高度の公共性を内包することは、憲法二六条、教育基本法の趣旨に照らして明白であり、到底私企業の労働者と同一理念ですべての労働関係を律することができるものではない。

第一において記述した各法規に遵い、被申請人の職務権限にもとづき、適法になした本件処分は、最高裁判所判例と毫も矛盾するところはないし、右判例違反を理由かの如く本件処分の違法を強調せんとするは全く理由のないところと謂わねばならない。

第三、執行停止の要件について

一、緊急の必要性の判断時期

申請人は執行停止における緊急の必要性の判断の時期を処分時であると主張し、疎明資料甲第一四号証における報告書においてもこれを根拠としているやにみうけられるところ、執行停止の処分はあくまでも本案訴訟の提起を前提とし、これに付随してなされる仮の処分であり、その本質は保全訴訟に外ならないのであり、本案裁判が未だなされない時期に、裁判を求める者に対し救済する必要が存在するかどうかにつき暫定的に裁判をなすべきものである。してみれば、その本質上申請人の現在における回復し難い損害の有無がその要件となることは当然であつて、申請人の主張は執行停止の裁判の本質を誤解するものと云わざるを得ない。

この点旧行特法第一〇条の執行停止の積極的要件として執行停止をする緊急の必要があり、且つそれによつて損害を避けうる場合であることを要すると解せられ且つ緊急の必要とは現に損害が発生して継続中であるか、またはその発生の危険が急迫している場合を謂うと解せられていたが、その本質において異ならない行訴法第二五条の解釈としても同様の結論に至るは当然である。仮りに申請人の主張する如く、損害の有無の判断時は処分時であつて、右の時点において「回復し難い損害」が認められれば足り、その後の損害の消滅又は発生等は考慮の余地がないとするならば、前記の様に緊急の必要性及び救済の可能性を要件としたことが全く無意味となる。けだし申請人の主張に基づけば処分時において損害が認められるならば、たとえその後損害が消滅したとしてもなお執行停止を認めうることとなるが、右の如き場合には当然緊急の必要性及び救済の可能性は存在しないこととなるからである。

なお又、行訴法第二六条第一項において執行停止の決定が確定した後においても、その理由が消滅し、その他事情が変更したときは、執行停止の決定を取消(変更を含む)しうるものとしている点からみても、申請人の主張が理由のないことは明らかである。執行停止の決定の取消の理由となる事情の変更の内容について、「回復し難い損害」を特に除外する旨の規定もないのであるから執行停止決定に際し認められた損害がその後事情の変更により消滅すれば、これを理由に執行停止を取消しうることは当然であつて、このことは執行停止の決定に際しても、現に損害が発生し継続していることを要件とするものであることを裏付けるものであり、申請人の主張は執行停止の本質を理解しない独自の見解と云わざるを得ない。

二、回復困難な損害について

ここに損害とは、違法な行政処分の執行により申請人の権利または法律上の利益が侵害せられ、これによつて申請人の蒙る財産的損失及び精神的肉体的苦痛を総称するものと解すべきものであるところ、申請人の主張及び立証によつても、申請人自身につき前記の如き損害の主張及び立証は両親と二児との別居による損害を除き全く認められないのである。しかして二児との別居は、これを当然避けうるにもかかわらず、申請人の自発的意思に基づき敢えて甘受しているものであるから緊急を要する「回復困難な損害」に当らないことは云う迄もない。

更に純粋に申請人個人の私法的な損害でなく、特定の機関又はその構成員として行使する権限に関する損害が含まれるか否かについては、これを肯定する見解もないではないか。(但し肯定する見解についても、公法上又は政治上の機関については認めるも、労働組合の機関としての損害を認めるものであるかどうかは明らかでない。)本件個人の権利又は利益の救済を目的とする執行停止の制度の趣旨から見て疑問と云わなければならない(雄川一郎・行政訴訟法二〇二頁)。してみると仮りに申請人がその属する高知市教職員組合の組合長の地位にあり、その地位に基きなすべき組合長としての職務が、本件転任処分の結果制約せられ、十分の活動ができないとしても、右の損害はまだもつて「回復し難い損害」にならないものと云わなければならない。

申請人は本件執行停止事件はその性質上労働訴訟であつて、不当労働行為の救済を目的とするものであるから労働組合活動尊重の趣旨に鑑み、組合役員としての機関の活動に及ぼす制約は執行停止の要件たる損害に含まれると主張する。然し乍ら申請人は、既に被申請人の主張する如く県費負担の教職員たる公務員であつて、地教行法及び地公法等に基づき高知県下のいずれかの学校に転任処分をうけることは当然予期すべきことであり、たとえ組合役員の地位にあるからと云つてこれを免れる理由はなく、従つて組合役員なるをもつて、他の行政事件と別異に解し機関としての損害を当然に「回復困難な損害」に含まれるとする見解は、組合優先の思想に起因する誤まれる独自の見解と云わざるを得ない。

仮りに百歩を譲つて、機関としての活動につき制約を受けることが行訴法第二五条に謂う損害に当るとしても、申請人が本件転任処分により高知市教職員組合の組合長の地位を失なつているのか、又は依然としてその地位に止まつているのか又はそのいずれかであるとして、その法的根拠が何に由来するのか明らかでない。(申請人の主張によれば規約上本件転任処分によつて組合員の地位を失なうから自動的に役員の地位も失なうものであるとしている様であるが、立証によると機関の決定により或いは組合規約上組合長の地位に止まりうるものであるとの証言がある。)仮りに組合長の地位を失なつているとすれば、本件転任処分により組合長の地位を失ない組合役員としての活動ができないことに対する精神的苦痛が損害となり、又組合長の地位に止まつているものとすれば、遠隔地への転任により組合長としての活動に制約をうける精神的肉体的苦痛が損害となるが、前記の様に申請人の主張がそのいずれであるか明らかでなく且つ前者については何等の立証なく又後者については、電話等の連絡によりその職務を行い又特に重要な会議等については参加の機会も与えられている如くであつて、未だもつて執行停止の決定をもつて緊急に救済を要する「回復の困難な損害」というに当らないことは明らかである。

次に第三者(本件の場合高知市教職員組合)の損害が行訴法第二五条に謂う損害に含まれないことは、申請人もこれを認めるところである。執行停止の本案となる抗告訴訟は違法な行政処分によつて侵害される当該個人の権利または利益の救済を目的とするものであること、執行停止決定がその権利または利益の暫定的保全手続であることを考えると、蓋し当然と云わなければならない。

尤も、申請人の主張する如く公務員の団結権擁護の観点から個人的権利利益の内容を労働組合活動との関連からとらえ、できる限り実質的に理解する必要があるとして、申請人の組合役員としての活動に対する制約換言すれば損害を組合の被る不利益という側面からとらえるとしても、本件転任処分の当時は、所謂組合員の救援カード作成について、又は転任処分を受けた組合員に対する生活上の援護事務等に多少の不便を生じたにすぎず、右訴外高知市教職員組合の組合活動にさしたる支障を生じた旨の立証はなく又前記の点についても時日の経過と共に、その処理も十分に為され既にその手続は完結しているのであつて、今日においては組合自体その主張する政治上経済上の各種組合活動を活発に実施しているものであるから、いずれにしても、回復困難な損害を認め得ないこというまでもない。(昭和四四年七月一〇日及同年一一月一三日に高知市教職員組合等が県教組の組合活動の一環としてその政治上又は経済上の主張の貫徹の為一定時間同盟罷業を実施したことは公知の事実であり組合活動に何等の支障のない一例と云わなければならない。)

三、公共の福祉に及ぼす影響について

右については被申請人の意見書において述べた如くであり執行停止決定によつて受ける新任校又は旧任校の教育行政上或いは児童生徒の教育効果の上において重大な支障を生ずること、ひいては本県教育行政又は教育効果の向上に及ぼす悪影響はまことに計り知れないものがあり、一方前記の様に申請人の本件転任処分によつて受ける損害は極めて軽微であると云つてよく、これを相関的に比較衡量するも、執行停止によつて申請人の転任処分の効力を停止すべき事案に当らないことは一見して明らかである。

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